2021年 その28

ひ、日々が怒涛すぎる…

やってることが楽しいことだからしんどいという実感がない、これは…何?大丈夫なやつ?

大体4月といえば「やってることも楽しくなければ新しい人に囲まれてなんかずっと一緒にご飯食べたり無駄に時間繋いだりしないといけないけど刺激があるから交感神経優位」だったのが、「やってることが死ぬほど楽しくて新しい同じ志の仲間(しかも少数精鋭)に出会って感染症のリスクがあるから必要最低限の"会い"でちょっと物足りないくらいで帰るからクソ規則正しい生活」なんですが…

この生活の落ち度やしっぺ返しはいつどのような形でくるのか…来年修論がうまく行かない&継続的に関係を維持する努力を怠ったから友達がゼロになる&就職先が決められない&家が決められない、とかですか?助けてくれ

人の人生の話を聞く機会が圧倒的に増えた
・関東から来た
・子供が2人いる
・患者を支える医療者を支えたい
・救命を極めたい
・クリニックでも透析患者の看取りまで支援できる医療者やシステムを作りたい
・長期的に闘病する子供を支援したい
・若年世代のがん看護を発展させたい
皆んなすごすぎ…
私→おべんきょうタノチイ

一体何をしとるんだか…

しかし出会って1週間で濃密な時間を過ごして、それぞれの個性が少しずつ漏れ出てくる過程はとても興味深くてワクワクして豊かだなと思う、一生これでもいい、いや、誰か一人と向き合って一生一緒にいるのもいい…全部いい

自己開示が下手くそすぎるのがめちゃくちゃ課題だと思う、こんなに信用できるとハナからわかっている人たちに出会うことなんてそうそうないのに自分から壁を作ってどうする…

壁を作るのがとても上手くなっているから、透明な壁だから向こうからは壁があるように見えないかもしれんな

先生たちやゼミの先輩たちが変わらずに優しくて聡明でほんとうにほんとうに嬉しい、ここは私の居場所だと思う、あとはどこに羽ばたいていくかということ…

多分どこかのタイミングから誰かのために生きることを知らなければ、なんとなく違和感のある生き方になってしまう気がする

生きること死ぬことわからないままに生きるのが悪くないと思うのは人生で初めてかもしれん、4月の熱に浮かれポンチになっているだけなのか…

というかこんなにレポートが溜まっているのに?!

これだけ偉大な先生たちに授業を受けて感化されて、自分が"知のメモリー"として生成されていくのを感じる。これだけハードが充実してしまうと、どれだけソフトがうまく行かなくても(例えば好きな人にフラれるとか)、ハードが価値のあるものすぎて死にたいとか思えなくなる感じがするので、私にとってはこれが自己肯定感とかなのかもしれん。(まだ研究段階のためわかりません)

まだまだ知らないことばかりの世界なので、これからたくさん知って、傷ついて泣いて、それでも大声出して笑って最高になっていきたい。

そのためにとりあえず寝ます。

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