デジモンアドベンチャーとの再会

私は無印放送当時は小学6年生、ラスエボの2010年では新社会人1年目だ。

triは未視聴、理由の一番は絵柄が好きではないから(申し訳ない)。評判もあまり良くなかったし、年に一回無印と02を全話見返したりすることで充足していた。それが今回の劇場公開を待ち望んでいたのは、やはりbutter-flyの存在。butter-flyを使えば何でもいいわけではないが、あの曲には人を動かすだけの力がある。今でも日常的に聴いている大好きな曲だ。

公開当初、ラスエボの様々な感想がTLに流れ、何となく結末を察知しつつ不安混じりの中劇場に向かった。変わった太一たちの声に少し違和感を感じつつ、流れたbutter-flyの懐かしさや変わらないデジモンたちの声にただ懐かしさに溺れた。懐かしいながらも現代風にアレンジされたBGMにも気持ちの昂りを感じた。同じ曲だが決して昔と同じ曲調ではないことにやはり寂しさは覚えた気がする。

94分はあっという間だった。マスクをしていて良かったと安堵した程には涙が出た。最近はドラマ等を観ても泣くことが減ったため、たまに人としての感情はどこかに行ったのかと諦めに近い感情も湧くこともあったが、安心した。

予告映像で何度も観た『太一、おっきくなったね』の言葉。実際ストーリーとして観た時、もう戻れない子どもの頃への懐かしさ、それよりも何か寂しさを感じた。社会人として生きてきた中で周りの事情や状況を察知し出来るだけ荒波を立てないように振る舞い、それを理由付けして日々をただ平穏に過ごそうとしていることに、子どもの頃にはあった何かを今はもう持ち合わせていない。

私は専門職になるため大学に進んだから4年の時点で太一やヤマトの様に悩むことはなかった。悩む必要も暇もなかった。睡眠時間も少ない時は1~2時間が続いたし、ただ資格を取るために勉強する日々に明け暮れていた。

悩んだと言えば数ある中から自分が進む道を自分で決断出来た高校3年次か。不確かな将来のために泣きながら受験勉強をした高校生時代の方が、家庭環境等含めて本当に辛かった。それでも、いわゆる氷河期を過ごした兄世代ののようにはなるまいと資格がある職業から選んだため、本当に自分がやりたいことか?と言われれば今でも本心からの言葉は出ない。でも選択をミスしたとも思ってはいない。なんとなくでも生きていけるから。
ただ劇中で、これからの将来どう生きていこうと悩む太一たちがなんだか羨ましかった。『悩むことが出来る』ことは『決定している』ことよりもずっと可能性に満ちている気持ちになり、その時間がなかった自分と比べ、少し嫉妬してしまったのかもしれない。


ラスエボのキーは『大人になること』であるが、それは各々にとって異なる意味であったように思う。

誰かに左右されることなく、自分として生きていく覚悟が確立した時に訪れるものだったり、自分らしく生きていこうという自信が確立した時だろうか。私たちも親や育ててくれた人たちから離れる時が来たように。

しかしそうすると太一たちは何故あのリングが発生してしまったんだろうという疑問に至る。
何の社会的な影響を考えることなく、ただ無垢に夢を見ていた過去。それだけでは上手くいかない、思い通りにいかないこともあると気づき始めた時か。今までのようにはいられないと察知し始めた時か。劇中では太一やヤマトは他のキャラよりも『今までのように』という意識が大きかったのかもしれない。ヤマトも口では否定しているが、将来への不安は感じ取れる。
不安=大人になることか。確かに親の管理下だった子どもでなくなったという意味では大人になったということかもしれない。それでも私は羨ましい。今、私が22歳頃に戻ったら何をしようか。何でも出来る気がする。歳を重ねてみれば、いろいろ怖がって足踏みしていた頃がなんて懐かしくて羨ましい時間だったことか。

一歩踏み出せば、その時にしか見ることの出来ない景色をたくさん見られる。
将来が不安で仕方がないのは大体の人間は同じ。思いきってやりたいことやってみればいいよ。きっとどうにかなるから。やりたいことを出来るチャンスがあるのに、それに挑戦しないことほど勿体無いことはない。

人並みだが、何か迷いがある人たちがいるならこれだけは伝えたい。


気になるのは丈や光四郎は果たしてどんな過程を経てデジモンとの別れが来たのか。あの二人はなんだかイメージが未だに湧かない。あと大輔にブイモンとのお別れの時は果たして訪れるのだろうか。あの子はなんだかこう、本当に何かに染まることなくただ一直線に生きていきそうなのでずっと一緒にいられそうな気もする。


劇中涙腺が緩んだシーンのひとつ、最後にモルフォモンが放った『ずっと、一緒だよ』

物理的な『一緒だよ』ではないと分かっている。それはモルフォモン自身も分かっているはず。ノベライズの中には『一緒にいた時間は、消えないよね』とアグモンが口にするシーンがある。(渋谷のストアでも観られるはず。)
辛ければ辛いほど人の記憶は残るもの。そこをどうこれからの人生に生かしていくか、乗り越える力を身に付けていくかが今回問われたのだろうか。

これからの未来、太一たちが自らの力で道を切り開き、また再びアグモンたちと出会う時、メノアもまたモルフォモンと出会う時が来るはずだ。だっていずれすべての人にパートナーデジモンが存在する時代が来るのだから。最強チームの太一たちが運命を変えていくのだから。そんな未来を信じれば、それまでの時間も自分らしく、そして目標を見失わずに生きていける気がする。


卒論で太一が記した『デジモンとの共生』は太一たちのこれからの人生の幹になっていくんだろう。劇場版では2010年が描かれているが、その10年後である2020、彼らは何をしているんだろうか。三十代を迎え、日々直面するものもきっと変わっているだろう。何かを諦めかけたり限界を感じたり、それでも二十代での経験を基に何か新しく目指したくなる年代だと思う。そんな彼らにも、また会いたいと願うのは強欲だろうか。もちろん、物事は少し物足りない、先を望む位のところで終わるのが一番望ましいこともあると理解している。

先日32歳になった私は無難な毎日しか送っていないが・・・。


4月からのアニメ。私も自分が知っている太一たちがさらにまた遠くへ行ってしまう気がして寂しかったりする。どうして太一たちでなくてはいけないのか。完全にオリジナルでデジモンアドベンチャーを作れなかったのか。まぁそこはいろんな事情があるんだろう。デジモンアドベンチャーの物語は太一やヤマト、あの8人たちから始まるんだろう。あの8人にしか出来ない冒険。そう思いながら私はファイル島から始まった思い出を好きでいようと思う。それで良いと思う。縁があればいずれ新しいデジモンも好きになるんだろう。1999年にデジモンに出会って今までこうして好きでいられたように。


劇場版のBlu-rayが出たら買うかな。デジモンアドベンチャーLAST EVOLUTIONに関わったすべての人たち、成長した太一たち、本当に出会えて幸せです。

2020.3.18