平行四辺形は2対の平行線に囲まれた台形

あるツイートが流れてきて、物凄く示唆に富んでいると思ったので、少しだけ記しておきたい。

これ、家庭的な微笑ましい話題と取るなり、教育法に関する話題と取るなりするのが標準的なんだろうと思う。
しかし私には、論理性で判断する価値観を人生から遠ざけかねない重大な岐路に見えた。
この宿題をやった子がどの発言をしていたかは定かではないが、仮に私が父親なら、長方形や正方形の問題ではなく、数タイプの特別な四角形が持つ特徴を伝えることに時間を費やすと思う。
4つの直線(中高生レベルの数学でいうなら線分)に囲まれた図形は、「四角形」。
「四角形」の中でも、1対"以上"の平行な線に囲まれているのは「台形」。
更に増えて、2対の平行線に囲まれた「台形」は「平行四辺形」。
もっと突き詰めると、内角が90度の「平行四辺形」こそが「長方形」。
「長方形」であっても、4辺が同じ長さなら「正方形」とも言い換えられる。
一方で、4辺の長さは同じでも内角の角度が90度ではなくなると「ひし形」。
ちょっと視点を変えてみると、全ての「四角形」は対角に向かって線を引けば2つの「三角形」で構成されていることがハッキリ見える。
だから全ての「四角形」の内角の和は、自ずと360度になる。
こうした図形の持つ特徴を紙に書いて示しながら、幾何の性質について子供が前向きな興味を示すポイントを探ろうとしたいと思うのだ(因みに私はド文系なので、中高生レベルまでの定義と理解がベースと思って貰うと分かりやすい)。
今の、そしてこれからの世の中で、無自覚に、"分かったフリ"や"分かったつもり"になることはとても危険だろう。
何故なら、現代の子供が生きる未来は、30代の私が過ごしてきた今までよりも、規範の逸脱の表面化は禁忌になりそうな気がするからだ。
だからこそ、基礎的な原則と例外を積み重ねながら物事を考える論理的思考が、流れを読む力とは別に、とても重要になってきそうに思える。
私自身の身の回りで起きている、難しいことへの"分かったフリ"がとても怖く見えるから、そんなことを気にしてしまうという面については、あくまで自覚的なつもりだ。

事例の一端には、最近のこんなニュースに対して目にした"一般の意見"にある。
たとえば、茨城県知事が"再び最下位に戻ったことについては「(調査会社が)そういうシナリオを描いてくると思っていた。一番面白いから」と推測した"ことをもって、調査の信頼性に欠けるとした意見があった。
また、群馬県知事が"この『都道府県魅力度ランキング』は『魅力度ランキング』という名称に耐えられるような信頼性の高いものではない。"として、"(法的措置が)有効な手段になるのであれば可能性の1つとして検討したい"と脅迫めいたコメントを消極的賛成だったり、単に冷笑的にコメントする姿勢をニュースで取り上げていた。
私は、茨城県知事や群馬県知事が調査結果について不服を唱えること自体は全く問題ないと思う。
ただ、それらを受けて何も根拠を示さないまま「底が窺えてしまう恣意的調査だ」と言ってしまったり、民間企業を萎縮させるかのように権力者が過剰に法的措置などの文言を使うことを後押しするのは、極めて危険だ。
表現の自由という憲法上の絶対的に守られるべき価値を持ち出すまでもなく、他者の尊重という、ごく普通の価値観が不足している。
調査結果の信頼性への疑義とは別の部分で、これらのニュースに対して、リスクを取らずに知的な立場を取ったフリをしているだけという感覚に、私は陥ってしまうのだ。
ゆくゆくは私達自身の言論を狭められる可能性がある怖い締め付けの事例なのに…。
こんなことを言っている私自身、問題によっては反知性的態度を取っていることも充分にあるはずなのだが、今は棚上げしておく。
先に意識すべきは、個人としての自分の狭量な器なのであって、あくまで強い者の側に与する必要はないという原則は失っていないからだ。
それだけに、このニュースについて立派に国立大学も卒業した自分の身内が、流れや意義を考えずに調査会社も知事も嘲って済ませてマウントを取ろうとしているのを見て、情けない気分になった。
言わなくても良い「これは公権力が民間人をいたぶる行為に近く見える部分が含まれていて、許してはいけないタイプの発言だ」と説教してしまった。
当然、いつものように面倒なことをいうヤツだ、と私が捉えられてしまうだけの結果になり、"分かりにくいこと"や"難しいこと"を自分なりに考えさせるように誘導はできなかった。
ちょっと立ち止まって考える習慣を実践して欲しいという、取るに足らないようなことでさえ、多くの人に伝えることは極めて困難なのかもしれない。

他にも最近、知ったつもりになることは怖い、と改めて思ったことがあった。
「再生可能エネルギー100%電力」という言葉を聞いたことがあるだろうか。
簡単にいえば、太陽光・風力・水力・バイオマスなど自然のエネルギーを利用のみによる発電で供給された電力を指す言葉だ。
この電力は、「非化石証書」という環境価値によってCO2を排出していない環境配慮がされたものだと裏付けられる。
この辺りで、用語それぞれに説明がないと今の我々には理解が難しいはずだ。
この上、「経済産業省が語を用いる時に"実質"再生可能エネルギーとする指導がある」とか、「電力の系統を分離しているので、環境価値を担保した『再生可能エネルギー電力』だ」とか、「系統の分離よりも電力需給の面的コントロールで、発電と受電を個別に繋ぐネットワークを構築して実現する」などといった話に、どこまで対応できるだろうか。
これからは、世の中の複雑性は更に高まり、人間の思考を試行回数の多いAIが、さながら神のような答えを出す局面も多くなる。
だからこそ、未知の物事について、自分の既存の知識に引き付けて分かったつもりになる領域はなるべく減らし、新たに理解する部分を増やすことが重要なのだろう。

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