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原点回帰したい

あっという間に今年も六分の一が過ぎようとしています。みなさま、いかがお過ごしでしたか?

わたしは大好きな音楽を聴いてはいましたが、とうとう1トラックもつくらずにいます。音楽をつくることに飽きてしまったのでしょうか。それとも、出し惜しみ?

もちろんどちらでもありません。単にまとまらなかっただけです。アマチュアとはいえ、中学生から音楽をつくっていると徐々に慣れてしまって考えがまとまらなくなるようです。

憧れ

中学生のとき、屋根裏から叔父のギターを見つけてポロンと鳴らした時の感動をいまでも覚えています。あの瞬間から、学校の授業では音楽を好きだと思ったことは微塵もなかったやつが、音楽に目覚めたのですから。

あの頃はちょうどミリオンセラーが連発されはじめた頃で、憧れのアーティストもたくさんいました。あのようになりたい、あんなふうに弾きたい。あんな曲をつくりたい。そしてそれっぽいコード進行にそれっぽいメロディーをのせて、デジタルビートを刻めば如何にもそれっぽいトラックが完成しました。

高校の文化祭にオリジナル曲を投入したときには、同級生からも「プロみたいだ」などとお褒めに預かりもしました。実際のところは当時のTKサウンド的な少しハネたビートにそれっぽいメロディーとコードをのせたもので、いま考えると奥行きのない曲をつくったもんだと恥ずかしさすら感じます。

そう、あの頃は憧れの感じにすればよかったのです。

憧れを過ぎて

成人すると音楽の趣向も変わります。ジャズ的な要素を含んだものや、ミニマルなビートの繰り返しのみのもの。あるいは特定のジャンルに偏りまくったものなども嗜むようになります。

すると、もはや演奏や楽曲制作では追随できるべくもない高みへと連れて行かれます。いやいや、真似できないから。この辺りから憧れではなく現実的に実力の差を残酷なまでに見せつけられてしまいます。

するとどうでしょう。憧れの雰囲気をもったトラックは恥ずかしくてつくれず、かと言っていま好みで聴いているようなものには手も出せずというデッドロック状態が完成します。

そうやって、迷いが生じるようになったのでした。

そして悟りへ

さて、40歳も近づいてきますとできる事をギリギリまでやろうとするようになります。手抜きでやると自分でもイケてないことがわかるので、何曲つくろうが納得はしません。メロディーをつくるにもいろんな方法が思いつくので発散していきます。コード進行となると手のつけようがないほど発散します。リズムもそうです。

こうなると、中学生のときのようにフォークギターだけでペロペロ言いながらつくった方が不便だけどかえって良いのでは?と思うようになります。原点回帰です。そうなると、もはやシンセは不要です。できてから足せばいいので。リズムもあとからでいいし、コード進行なんてギター下手なので三つか四つでぐるぐる回せば上等でしょう。

悟りへ至るため?シンプルなつくりかたへ戻って自分を見つめ直すチャンスにしようかな。

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