現実的将来予測と、TOBE像を目指す際に求められる自らの姿勢


世代が変わっても人は優秀にならない

「人は賢くならない。」
どこかの文献で仕入れた情報で、この内容を読んだときにはかなり衝撃をうけた。
ここでいう”人”は「Aさんが10歳から80歳までの間に賢くなっていくことはない」という意味ではない。
「Aさんと比較して息子の代、孫の代、そのまた次の世代、、、はAさんより賢くなっているとは限らない」という意味だ。

個人的な見解では人類は少しずつ良くなっていくと思いこんでいた。
おじいちゃんの教えをうけて親は育ち、親の教えを受けて子供が育つんだからそれは賢くなるだろう。
ただ、30何年生きて親になってみて、過去長い歴史を振り返ってよくなっていたのは人以外のモノが中心だった。
乗り物が進化した、インターネットが現れた、医学、学問、発明、月面着陸、研究、論文、特許、、、
素晴らしい偉業が過去にたくさんあるにも関わらず人はいまも昔と同じ悩みを持って同じ失敗を繰り返している間に寿命を迎えている。
賢くなってもそのノウハウを全て後世に残すことは難しい。

現実的な将来予測はあまり劇的に良くならない
ここから得られた知見は、将来の集団としてみた人はあまり劇的には良くならないということ。
もちろんモノやサービスや発見など人以外のものは劇的に良くなるだろう。
車だって想像できないぐらい進歩している。
ただ、集団としての人は昔と変わらないバカばっかりやっているはず、というのが自分の考え。

しかしもっと良い社会を構築したい
ただ、せっかく生まれた人生の多くの時間をかけて取り組んでいる仕事を通じて、自分は社会を良くしたい。

自分がしてほしいことを自分がしないといけない
話が変わって、自分のポリシーは聖書に書かれていることがいくつかあった(クリスチャンではないし布教するつもりも一切ない)。
そのうちの一つに、「自分がしてほしいことを自分がしなさい」となんとなくこんなことを言っている箇所があった。

現実的な将来予測は自分のポリシーに反するのではないか
現実的な将来予測を行うのは地に足の着いた提案として職務上必要だし、これをやめるわけにはいかない。
ただ、みんながこんな現実的な将来予測をおこなっていれば未来は明るくならないどころか悪化するどころではないか。

現実的な将来予測は悪か
現実的な将来予測をやめるかどうかは悩ましい。

自らがあるべき姿勢
帰結するのはまた矛盾する自分のポリシー、「白か黒かはありえない、全てはバランスが善」。
もうポリシー自体が矛盾しているが最終的な結論は”バランス”が大事なんだろう。
バランスが保てなくなったときが自分としての価値観が暴落する。
バランスが保てるように心身の余裕とInput/Outputのバランスを保ち続ける必要がある。

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