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突発性難聴の通院治療を終えてから

ある日突然片耳の耳鳴りと聞こえにくさを感じ耳鼻科に行くと突発性難聴と診断された。片耳の難聴を自覚した日はわたしの誕生日だった。突発性難聴と診断され、治療を受けても1/3は改善せず治らないと言われた時はこのままずっと片耳が聞こえないまま過ごすことを受け入れようとした。回復するだろうと思ってやっぱり回復しませんでした、は辛いのだ。この通院記録のnoteも現状を整理して自分を説得するために書いていた部分もある。

この病気になって今までにない経験や思考を持った。大きな声でゆっくりと話しかけられることは今までなかった。自分の片耳が聞こえてないことは分かっているが、人から耳が悪い人への対応を受けていることが衝撃だった。そのときわたしは病人になった。右耳と同じぐらい左耳も聞こえにくくなると身体障害者認定を受ける程度のものになる。身体障害がどういうものなのか半分だけど身と心をもって体験した。それはとても不便な状態だったけど同情されるのは嫌だった。耳が聞こえないとしてもそれがわたしの普通なのだから。

以前から24時間テレビなどで「不自由な障害者が頑張っている」姿を感動的に放送するのは不快だった。もうすぐ東京パラリンピックが始まる。オリンピック競技は男女で分けられるし体重別に階級分けされてるものがたくさんある。パラリンピックも階級分けのひとつのようなもんじゃない?競技の公平性を保つために分けて競うのは当然だけどそこに差はない。


この1週間ずっと雨だった。今日も雨。明るい曇り空から雨がぽつぽつ落ちてくる。わたしにはいくつか幸運があった。まず発症して48時間以内に治療を受けられたこと。突発性難聴はなるべく早く治療を始めた方が回復実績がいいらしい。発症した時にすでにお盆休み期間になっていたら治療開始が遅れていたかもしれない。そして回復したこと自体が幸運だ。治療を受けても回復しない人が1/3という病気だった。もちろん医師、看護師、技師、他病院スタッフと医療制度全体の努力があってのことだ。これらの人々が作る医療の上に回復という幸運があった。

1週間通った病院、実はわたしが生まれた病院だ。誕生日に生まれた病院に帰ってくるのはいい偶然だった。治らないかもしれないという病気になり今までにない経験をして、生まれた場所で生まれ変わるというのは大袈裟だけど、心機一転の気持ちでいる。


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