「昔の曲は良い曲ばかりで、最近のJPOPは薄い」という一見至極まっとうな意見に対する案

昭和の伝説的なアーティストの映像などテレビで流れると、決まってツイッターにこういう意見が湧きます。

「昭和のアーティストは実力がある」
「今のポップはアイドルがCD売ってるだけ」
「昔に比べて曲が薄くなった」

かく言う私も昭和のフォーク、ロック、歌謡曲。さらには平成初期のビーイング系など、いわゆる「古い曲」のファンの1人であり、最近の曲はよく分からないのですが、

しかし、前述のこうした、「今の曲はダメ。古い曲は良い」という意見には賛同しかねるのです。

というよりそもそも、時代ごとに音楽を区別して、「~時代より~時代が優れている」という比較論自体がナンセンスだと感じています。

と言いますのも、本来人間の創作物というのは、「時を経るごとに時代の淘汰を受けて、優れたものしか後世に残っていかない」ように出来ているのです。

「芸術」ほど過去に1次関数的に絶えず進化して来て、さらには未来永劫進化し続けるであろうことが確約された分野は他にないような気がします。マニエリスムで一度「完成」を見たとさえ言われた絵画でさえ、結局はその後のキュビスムやシュールレアリスムの台頭によって進化を続けました。音楽にしても、ベートーヴェンやモーツァルトの交響曲は明らかに非の打ちどころのないような完成度を誇りますが、やはり新しいものというのは現代でさえ絶えず生まれ続けているのです。

ところで、かと言ってミケランジェロの絵画やベートーヴェンの交響曲が、新しいものに蹴落とされて歴史から消え去るという事は起きませんでした。何故ならばこれらの作品は時を経て絶えず新しいものが生み出されてなお、新しい時代の人々の心を新鮮に捉え続けて愛されているからです。

その陰には、忘れ去られた幾多の作曲家、画家の姿がありました。中には、生前巨匠たちと比肩するほどの名声を博していた者もあるのです。多大な支持を大衆から受けていた幾多の芸術家が、時代と共に新しいものに取って代わられ忘れ去られていく。その中で、「人気があるだけではなく、本当に優れていた人、もの」だけが、選りすぐられながら現代に残っているというわけです。

話は日本のレコードシーンに戻りますが、昭和のアイドルやグループの中にも、テレビでキャーキャーと黄色い歓声を浴びながらも、30年の間に忘れ去られてしまった「消えたポップス」というのが山ほどあるのです

つまり、今現在においても度々テレビで紹介されるような曲というのは、時代の淘汰を乗り越えて今でも新鮮に人の心を捉える「極々一部の本当に価値のあった曲だけ」なのです。真の名曲しか流れていないのです。

一方、いわゆる「サイキンの曲」というのは、これから時代によって選別されていく、いわば雑穀の集まりです。今も昔も、才能あるミュージシャンは同じだけ生まれています。今は「人気」というベールに覆われて、本当に優れたものというのが判別しにくいだけなのです。

なので、これを読んだ人は、「〇〇時代の曲は良い、悪い」と言うのをやめてほしいです。それよりも、あなたの知らないところで実は今この時も生まれ続けている「後世に残る名曲」を探してみてください。

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