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わらしべ長者戦略?

1本のわらから御屋敷まで手に入れた事でも有名なわらしべ長者。


こんなトントン拍子にうまくいくわけないじゃん。

子どもながら思っていました。


ただ大人になって子どもに読み聞かしてみると

実際コレあるわ・・。

と気づいたんですね。


小さく生んで大きく育てる


転売のきっかけもまさにここから・・・


最初は親からもらったFENDIのタバコケースでした。


大学に入って独り暮らしをする時に、親が自分の部屋に

忘れていったブランドもののタバコケース。


親にそれを伝えたら

「あんたにあげるから処分していいよ」

とのこと。


私がタバコを吸わない事を知っててよく言ったもんだ。


いちおうブランドものだし、捨てるくらいならネットで売ってみるか。


2001年。その時はヤフオクとビッターズしかなかった。

その時はクレジットも親の許可もいらなかったビッターズに出品してみた。

1000円で出した。どうせタダで手に入れた物だし。


終了してから気づいた。

3000円になっている・・!


アプリで断捨離が当たり前の今では考えれない時代に

これが衝撃的なデビューだった。


手数料や送料を除いて残った2000円ちょいを元手にお金を増やせるかも??

つかブランド品ってすげぇ・・。


当時まったくブランドに興味がなかった自分からしたら理解不能の結果だった。


人の価値なんて自分のモノサシじゃ測れない!だけどこれを利用しない手はない!


直観的に体感し、熱くなった胸を元に行ったのは銀行。

20万円まで仕入れでこのお金を使おう・・!

そう決意した。


クラスにはオシャレな友人がいた。


このパーカー18000円。

この靴40000円。


軽くそんなことを言われてドン引きした事を覚えている。

だけど・・・めっちゃカッコいい。


これを着れば俺もカッコ良くなれるかな・・。


あいつが着ていた猿が馬に載ってるTシャツをビッターズやヤフオクで探しまくった。

うーん、6000円か。え!なんでこのデザインのTシャツだけ15000円で取引されてるの?! あぁ、中田(英)とのコラボだからか・・。


楽しかった。

これを着ている自分を想像しちゃったから。

エンブレムのデザインに穴が空いているTシャツ。

このモデルはいつも9000円で取引されている。

おのずと相場が分かってきた。

そんな中で激安即決で出ている商品を発見!

なんとタイミングよく5500円で落札できた!!

そしてそれを手に入れた瞬間の嬉しい事なんのって。


それを着た自分は腰を手に鏡の前に立つ。


木村拓哉の姿が・・そこにはあった。。


ここで満足する俺ではない。


きっと俺みたいなキムタク系あこがれ男子は

世の中にあふれているに違いない!


届いたばかりの商品を無心で撮影。

それを即出品する。

12000円で出品してみた。


相場は1万円くらいだけどこれでも買う人はいるだろ。


朝起きてみると


なんと

落札されました。

の文字が威風堂々と取引画面へのリンクが輝いているではないか。

これだけで倍額以上で売れたよ。


今回はまぐれじゃない。俺が価値を拾い上げたんだ!


寝る間も惜しんでネットで物色していた。

時には売買掲示板にも書き込みをしながら欲しい商品を漁った。


それこそバイトもせずにひたすら売買を続けていた。


「いつもありがとうございます!」

毎日郵便局に行くので顔になっていた。

いつも人気ブランドの服を身につけていたので校内でもそこそこ有名になった。

ボンボンなの?ってからかわれたりもしたけど

どんどん声を掛けられオシャレ仲間もたくさんできた。

学校を卒業する頃には裏原からロック、スケーター、ストリートブランドまであらゆるブランドの服の人気の傾向まで把握できるようになり、テレビで芸能人が着ている服や、通りすがりのオシャレな人が着ているであろう服のブランドを言い当てる事が楽しくなっていた。

プログラマーの仕事に就いたけど、土日は渋谷・原宿界隈のハイブランド古着を転々と回って商品を仕入れる。

もちろん古着屋もバカじゃない。相場で売られているものを相場以上で売るのは困難だ。

だからこそ人が欲しくなる心理をつく写真とコピーライティング能力が問われる。

人が出品にかかる時間は数分だと思うけど、俺は30分以上執筆に時間を割く。(もちろん安価な商品じゃやりません。)

同じ商品にも関わらず、私の文章を丸パクリした出品者は数知れず・・。

(こんなnoteの書き方じゃたかが知れてるって思われてると思いますが)

正社員でもらえた給料は新卒で20万くらいでした。

これじゃジャケット2着とデニム1本買って終わります。普通なら。

ただ私は月にジャケット5着は買えていました。その分服が売れていたからです。

最終的に月収を超えるほどの"売上"ではなく”利益”が出た頃には、本気で会社を辞めて古着屋を自分で作ろうと思いました。

ただ今でも古着屋は作れていません。

なぜなら

本業あっての転売

というのに気付いたからです。


転売は必死になってはいけません。


これは断言できます。

お金が足りなくなって物を売るという行為は当然安売りに繋がります。

そうなった時に買う人っていうのは・・

学生時代だった頃の自分です。(それならそれでいいか?)


安売りして物を手放す時、それは転売としての死を意味します。

時には想定した価格で売れない事もあるでしょう。

だからと言って買値より安く売る必要はありません。

自分は安く売った事は一度もありません。

だって買う商品すべて

売れなければ自分で使う

それを前提で買ってるんですから。

家の中には売れ残った在庫品が大量にありますが

自分はそれを在庫と思った事は一度もありません。

だってそれでも本業でのお金はほとんど使わず生活できています。


今日もまた誰かの欲しがっているであろうアイテムを

きっと購入するだろうと思います。


●今日の一言
時間さえ忘れるほど夢中になれるものを転売に活かせれば最強!




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