M10.参考文章①

江本祐介『ライトブルー』
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この曲を知ったのはゴッドタンの芸人マジ歌選手権がきっかけだった。バカリズム升野さんがパフォーマンスした『恋のパステルカラー』の元ネタとしてたどり着いた。知ったのはオンエアを観てからしばらく経ってのこと。パフォーマンスに参加もしていたEnjoy Music Clubのプロデュースなのかな? くらいの認識だった。そもそもEMCを知ったのもその時だったし、江本祐介さんがメンバーであることに至ってはつい最近知った。『ライトブルー』を知った時にMVは確認したはずだけど、その時は流し見というか、映像はあまりちゃんと観ていなかった気がする。
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MVを最近になってちゃんと観てみたのは偶然。なんとなく観る気になった。
MVの内容は文化祭までの7日間を4分26秒のノーカット一発本番で描くというもの。学校の教室から始まり、Tシャツの背番号や漫画のコマ、張り紙などで「あと7日」「6日」「5日」とカウントダウンされていく。短い時間という制約のある中で、広い空間の学校全体を使ったノーカット撮影をしているので、画面の中の女子高生たちは走って、走って、走っている。見切れる学生たちや、スピード感(というより実際スピードがある)、そして走り回って全力で踊る女子高生達によって4分26秒できっちり“文化祭性”をあらわしている。一度しっかり観てみたら、動けなくなる位にくらってしまった。
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何が自分を感動させているのか。
自分にとっての「文化祭」ってなんだろう。
それは11月2日・3日にやる中学校演劇部公演だ。クラスの出店準備だったり、友達と学校を回ることではない。
中1の時に演劇部に入った私は、かれこれ9年間、11月2日・3日を公演に使っている。中学を卒業してからの6年は、時には照明、時には撮影、たまには演者として。
演劇部公演というものは、当然ながらプロでもなんでもない子どもたちがコーチと一緒にホンを書き、台詞を入れ、稽古を重ね、日常生活の中では経験しないような苦悩の果てに客前に立ち、演じる。どれだけ時間をかけたとしても、1日1回の本番を2日回せば終わってしまう。考えてみれば不思議な話だ。プロでもないのに何故こんな苦行をやるのか。プロではない、つまり仕事ではないのだからお金に代表されるような損得、利益だとかは問題じゃない。
本番の為。辛いのに楽しい、何物にも代え難い「あの気持ち」、それだけのためにやっているのだと思う。
「あの気持ち」は、例えばお金(収入)やキャパ(お客様の規模)とは紐付けされていない唯一無二のものだ。
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「あの気持ち」をMVの中に見た。
この子たちは絶対に必死で、全力で、カメラが止まった後のことなんか何にも考えないで、ただただ演っている。こんなに作品に対して真摯に取り組む人たちを久し振りに見た気がする。
撮影している場所は、福島県立いわき総合高等学校。メインで出演している女子高生20人はその総合学科芸術・表現系列13期生。彼女たちが2016年夏に『魔法』という卒業公演を打った際に、ラストシーンで『ライトブルー』を使ったのがMV制作に繋がったらしい。
『魔法』もMVも演出をしたのはロロの三浦直之さん。(ロロの公演は観たことないけど、先輩の公演を観に行ったらアフタートークで登場なさったのを見たことある。はず。)
MVと同じようにドキュメンタリーもYouTubeに公式のものがあったので観てみた。

この中で、三浦さんが学生たちに『魔法』と同じメンバーでMV製作が出来ることを伝えにいく場面がある。学生たちは三浦さんからの知らせに泣いて喜び、インタビューではある女子が泣きながら「20人で何かをできるっていうのが嬉しかった」と言っていた。
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こんな生の言葉が聞けるとは思わなかった。涙が止まらなくなった。
作品を作るということは自己満足だ。人を感動させるだとかそういったことは副産物に過ぎない。感動させることが目的になったら、それは大抵の場合は形だけの中身のないものになってしまう。作品を作る時に1番大事なのは「やりたい」という気持ちだと思っている。それが彼女の言葉にはグッと詰まっていた。また彼女は、別のカットで撮影を振り返って「めっちゃ今辛いはずなのに楽しい」と言っていた。
本当に最高だ。こんなに純度の高い気持ちで彼女たちは動いているのだ。
純度の高い気持ちは大人になればなるほど消えてしまう。色々なことを知るし、やらなきゃらない。たくさんの複合的な気持ちで動くことになる。良い悪いではなくて。それにそもそも子どもだって、人にはそれぞれ事情があるから、最初っから色々なことを考えなきゃならないことだってある。
純度の高い気持ちを持った人たちがこれだけ集まってるのは奇跡だ。
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大嫌いな2文字の言葉があって。何故かというとその言葉は使ってしまうと途端に形骸化してしまうからだ。使った途端に嘘になる。そんな言葉は言葉として機能していない。だけど、どうしてもそれを使わないといけないような気がする。
つまり、『ライトブルー』に収められてるのは「青春」だということだ。どうしてもこの言葉は避けられなかった。というかむしろこれからこの単語を使うのが好まれるような場面では「『ライトブルー』のMVみたいな何か」と言いたい。
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長々書いてしまっているけれど、最高なのは学生たちだけじゃない。
周りの大人たちも最高だ。
『魔法』は観られていないから述べる言葉を持ってないけれど、MVが『魔法』の延長戦だということを考えるならば、最大の功労者は演出の三浦さんだろう。
「今の彼女たち」にしかできないことを「今しかできない形」で留めている。
正しい。
本当に正しい。
学生に大人でも誰でも出来るものをやらせちゃ意味がないんだ。学生演劇には学生のみに残された可能性があるんだ。それを本当にわかっているんだと思う。
監督を務めた松本さんは最初、主人公みたいな人を1人設定しようとしていたらしいけれど、三浦さんは『魔法』で愛情が湧いていたので、止めたそうだ。愛情というものは作品を作る時、バランスを崩しがちなものだけど、これはうまく働いているパターンだ。1人の物語にするより、空気感が保存されたと思う。
監督松本さんがネット記事上のインタビューで言っている「監督とカメラマンまでエモくなると危ない」というコメントもとにかく正しい。先に書いた愛情が上手く作用したのはこの俯瞰があったからというのは大きいはずだ。(個人的には監督のようにその場の指揮をとる人が冷静であればあるほど周りは情熱的になって、エモくなって問題ないと思ってる。)(人1人で考えた場合は頭はクールに心はホットに)
何より、これだけ多くの人を動かした音楽を作った江本祐介さんは凄い。もうこれはなんて言っていいかわからない。とにかく凄い。
「青春」の次に嫌いな2文字の言葉(理由は同じ)「仲間」も感じずにはいられない座組み。
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もうMVが公開されて1年以上経っているけれど、是非観てみてください。それで、もし良かったら感想を聞かせてください。

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