A子さんの前に

本屋に行く理由を考えてみた。というより、結果的に本屋に行く理由に辿り着いた。

私が本を見つける方法はざっくり大きく分けて2つ。1つが自分で本屋で見つける。もう1つが人に紹介される。後者は面と向かっての知り合いの知人友人の他に、好きな著名人(例えばミュージシャンや作家)のInstagramや Twitterでの投稿なども含む。少なからずコモンセンスがあるから関係が続いているであろう知人友人以上に、自分の趣味嗜好で能動的に関係を続けているミュージシャンが勧めている作品はベン図的に好みと重なりやすいだろう。

会ったこともない人がSNSやら雑誌やらでしている推薦を見にいって本を見つけるのは、最早『自分で見つける』の1つのような気もしてきたが、一旦そこは置いておく。(そして置きっぱなしになる)

何故本を見つけるのが本屋なのか。
自分が本を見つける時、『誰かに勧められたから』を除けば『本屋で見つけたその本が光って見えたから』というのが主な理由になる。『光る』というのは当然ながらメタファーで『音がする』とか『呼ばれる』とか『点滅してる』とかでもいいのだけど、要は文字通り山のようにある本の中から何故かそこだけ吸い込まれるように目立つ本があるのだ。

何故か、図書館だとそれがない。
2023年になるまで気づかなかった。
そもそも貸本が好きになれず中学になるまではなんなら敬遠していた図書室や図書館。振り返ってみると、そこで出会う本はあんまりなくて、どちらかと言うと事前情報、それこそ知人友人の紹介等で既に知っていた本を狙い撃ちしに行くような、そういう利用方法の方が多い気がする。
書いておいてあれだけれど、これは割合の話だ。図書館で出会った本だって多分ある。パッと具体例を出せないけれど。絶版本なんかは本屋よりも図書館に圧倒的に利があるし。

話を戻す。
本屋では本が光って見えることがある。
その光って見える本、ほとんどの場合は己の好みに合っている。この辺りはやっぱり、自分の好みは自分が一番わかってるんだな、と思ったりする。(が、手に入れてみてから過去に人に勧められてたことを思い出したりもするから、まあ出会いなんて複合的なものだ)
光って見えた本は十中八九遅かれ早かれ手に入れることになるのだけど、手に入れるタイミングはその時による。見つけた時とは限らないということだ。1冊で済むならまだしも、シリーズものだとお金の問題なんかもある。けれど、買うときは買う。
記憶にある限り、『昭和元禄落語心中』、『3月のライオン』、『大奥』あたりはいちどきに手に入れた記憶がある。もしかしたら2回くらいに分かれてたかもしれないけど、ほぼ1回で揃えている。それぞれ全10巻、16巻、19巻だ。『3月のライオン』だけは未完で、手に入れたときは12か13巻目まで出ていた気がする。いずれにせよ、それなりの冊数をまとめ買いした。どこにそんなお金があったのか。お金に余裕がなくとも、買うときはどっかからお金を捻り出して買う分けだから、最早買う時の「買う理由」はわからない。
その時が、その時だったから。
そのくらいしか言えない。

ずっと前から光っていた本がある。タイトルを『A子さんの恋人』という。

少し長くなったので『A子さんの恋人』に関しては次に。

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