M37.祝日

M37.祝日

カネコアヤノ『祝日』です。

ここ一年弱くらいは、私の中でカネノアヤノの音楽がとっても大切になってきていて、逆に触れるタイミングに悩むな、なんて思っていました。
YUKIについて書いた時に、彼女の声は世界を包むようだと書きました。その時に、カネコアヤノと良い意味で対照的だと思ったので、続けて書こうと思った次第です。

カネコアヤノの声は、そして歌の世界は、とても個人的な小さいものです。日常、生活の中の小さな一瞬一瞬に根ざしています。YUKIの声が世界を包み込むようなものであるとすれば、カネコアヤノの声はたった1人に向けて届けているようなものだと思います。そういう意味で対照的だと感じました。

カネコアヤノの歌には祈りや呪い(まじない)を強く感じます。たった1人に向けたお祈りのように聴こえます。
私は音楽を聴く時に、どちらかというと聴き手である自分の側から近づいていくような気持ちでいます。ミュージシャンの音楽に自らを重ねていくような形です。
音楽をを聴きながら、歌詞を読みながら、「こんな気持ちになりたい」とか「こう考えられるようになりたい」とか「こんな風に生きたい」とか。そんな様に自分の側を寄せていっている具合です。

カネコアヤノの音楽は今のままの自分に向けて、自分のために届けられているかのような気持ちになります。そんな感想はある意味とても驕った気持ちだと思うのですが、それでも本気でそう思います。自分の方から重ねる前に、たった今の自分を射止められたような気持ちです。
カネコアヤノ自身、CINRAでのインタビュー(インタビュアーは北沢夏音氏)にてこう語ってます。
「「私のために歌ってるんだ」ってみんなに思ってもらえたらと思う。実際に「あなたに歌ってるよ」って言い切れるので、私は。」
このCINRAでのインタビューが本当にカネコアヤノのことをよく表しているので、興味が湧いたら一読することを強く勧めます。

と、いうか。北沢さんが行ったカネコアヤノインタビューは総じて素晴らしいのでおすすめです。

『祝日』は日常に対する祈りのような歌です。
日常が、生活が少しずつ良くなっていくように、続いていくように、という祈りです。ささやかな幸せ(こういった言葉は、言葉にした途端に大切な何かが抜け落ちる気がして嫌なのだけど)を取りこぼさず、着実に進んでいくような、そんな歌です。
『祝祭』というアルバムに入っている歌です。そもそも、祝祭というもの自体が祈りの行事のような気もします。何かを祝いその幸せが続きますように、という祈り。そんな名前のついたアルバムの最後に相応しい歌となっていると思います。
カネコアヤノの歌は、とても自然に、心の深い所に寄り添ってくれます。あなたにとってもそうだと良いな。

それでは、また。あなただけを愛しています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?