2年半ぶりぐらいにDGSを聴いてみた話

土曜の深夜25時から文化放送で放送されているラジオ「神谷浩史・小野大輔のDear Girl~Stories~」、通称DGS。
15年続く、言わずと知れた長寿番組ラジオ。
人気男性声優の二人がパーソナリティのそのラジオを聴いたことのある人は少なくないのではないだろうか。

斯く言う私も、リスナー、いや、このラジオのルールに則るのであればディアガールの一人だった。
そう、ディアガールの一人「だった」。

かつては土曜の深夜25時からの30分間をなによりも楽しみにしていたし、その30分間の二人の会話に思う存分笑い倒すことで次の一週間も乗り切ることができた。
映画も見に行ったし、イベントにも足を運んだ。
イベントのBlu-rayは今でも家に残っているし、聴いていたころのテーマ曲ならば今でも口ずさむことができると思う。
それぐらい日常の核となる部分にDGSは存在していて、400回や500回、節目の放送回を迎える度にこの番組だけはいつまでも続いてほしいと願っていた。
本当に、誇張でもなんでもなく、なによりも大切なラジオ番組だった。

それほど大切だったはずのDGSを聴かなくなったきっかけはなんだったのか、ちゃんと自分でもわかっている。
三年前、社会人二年目に入った私は、甘やかされ、手加減されていた一年目とは比べ物にならないほど忙しさに、プライベートの時間をどんどん削り取られていた。
土曜日の休日出勤もそれほど珍しいことではなくなり、放送翌日の日曜日も出勤の予定が入っていたり、夜遅くまで起きているには体力的にもたないほどになっていた。
それでも、radikoのタイムフリーを活用すれば、遅れてでも放送を聴くことはできたし、私の記憶が間違っていなければ、その頃あたりからYouTubeでの配信もはじまり、いざとなれば聴く手段はいくらでもあった。
しかし、それだけの環境があっても、聴かなくなってしまったのは大きくみて二つの理由がある。

ひとつめは、アニメの話を聴くことがとてつもない苦痛になってしまったことだ。
現在は転職し、違う職に就いているのだが、当時勤めていたのは某アニメ制作会社。
そこで、「制作進行」と呼ばれる職を務めていた。
わかりやすく言うのであれば、「SHIROBAKO」のみゃーもりと同じ職業。
あまりにも激務だったその頃のことは、またなにかの機会に書きたいと思っているので、ここで詳しく書くつもりはないが、ブラック、なんて言葉の一つでは片づけられないほどのブラックな就労環境。
アニメ業界では、その過酷さから心を病んでしまう人が珍しくないが、私も例に漏れず、少しずつ精神を蝕まれていき、毎クール数本は見ていた、あんなに好きだったはずのアニメをプライベートで見ることはほとんどなくなっていた。
自分が担当していない作品でも、アニメの感想を誰かが呟いていることすら見たくなくて、Twitterをやめてしまおうか悩んだこともあった。
DGSも、男性声優がパーソナリティという視点で考えれば、少ない方かもしれないが、当然のようにアニメが話題になるタイミングが少なからず存在する。
その話題を聴くことが、辛いと感じてしまったのだ。
あんなに好きだったはずの、二人が語る出演作への想い。
それをあんなに嫌な気持ちで聴く日が来てしまうなんて、アニメに夢を見ていた新入社員の頃は思いもしなかった。
DGSを聴く中で初めて面白くない、聴きたくないと思ってしまった瞬間に、自分でも少しショックを受けてしまったのだ。

ふたつめは、失ってしまった同時性のさみしさに耐えきれなくなってしまったことだ。
ラジオの魅力は、リアルタイムで聴くことだ、と私は思っている。
DGSは録音放送ではあるが、土曜日の25時からの30分間、他になにもせずにラジオを聴くというあの時間そのものが好きだったのだ。
タイムフリーやYouTubeで聴くものと内容が変わるわけではない。
それでもなぜか、放送時間を待ちわび、5分前ぐらいから待機しはじめて、前番組の終わりの部分だけを少し聴いてから、OPテーマが流れ始めるまでのあの数秒間からはじまるあの30分間と同じドキドキは、リアルタイムで聴く以外では味わえないのだ。
もちろん、何度か聴き逃した回をタイムフリーやYouTubeの配信で聴こうとした時期もあった。
でも、それは土曜日の25時からの30分間とは比べ物にならないほど、魅力に欠け、そう感じてしまうことにさみしさを覚えた。

自然とDGSを聴かなくなってしまった何週間が続き、いつしかDGSを聴かないことが日常になり、あんなに特別だった土曜日の25時からの30分間は、他の時間と変わらないただの30分間になってしまった。
それにさみしさを感じた時期もあったが、それすらも乗り越え、DGSを思い出すことすらもほとんどなくなっていた。
確かに存在していた大切な宝物だけど、それを再び取り出すことはもうないのだろうと漠然と感じていた。

きっかけは本当に些細なことだった。
あまりの仕事そのものの忙しさや異常なほどの心労から、死という一文字すら浮かぶようになっていた私は、担当していた作品の納品を終え、それを最後に制作進行をやめる決意をし、転職活動をしていた。
もちろん、それまでの激務に慣れてしまっていた私にとっては、プライベートの時間も少し戸惑うほど増えたが、辛い記憶を思い出してしまうから、アニメを見ることを避けるようになり、実写映画やTVドラマを見ることが増えていた。
その中で、偶然見たドラマに出ていたSixTONESの松村北斗。
(この沼落ちの経緯もまた別の機会に書きたい)
転がり落ちるように彼の魅力にハマり、SixTONESの魅力にハマっていった私がたどり着いたのは、「SixTONESのオールナイトニッポン サタデーナイトスペシャル」というラジオだった。
ラジオをリアルタイムで聴くことすら、二年半、いや、DGSをリアルタイムで聴けなくなっていたのは聴くこと自体をやめるよりも前だったから、実に三年ぶりぐらいだったかもしれない。
土曜日の23時半からのその放送に合わせて、radikoを起動したとき、その懐かしさに笑ってしまった。
放送が始まるまでのそわそわ感、始まってからのなにも考えずにただ笑っていられる時間。
パーソナリティ二人の会話を盗み聞きしているような、それでいて私に語りかけてくれているようなあの不思議な時間。

まったく違う番組なのに、なぜかDGSを思い出した。
それは、自由にふるまうメンバーに振り回される田中樹の姿に、小野大輔の行動に振り回される神谷浩史の姿が少しだけ重なるように見えたからかもしれない。
それは、【高垣くん】というDGSにも関係のある人物の名前が聞こえてきたかもしれない
(これは合っているだろうか……? たしかSixTONESのANNにいる高垣くんは声優の高垣彩陽の弟で、私が聴いていた頃はDGSにも名前が出ていたような気がするのだが…… )
それは、「ウィルサーチ」という2年ぶり?ぐらいにするコーナーに戸惑うメンバーの姿が、DGSの死んだコーナー「ワンフレーズストーリー」を久しぶりにやって戸惑う神谷浩史と小野大輔の姿に重なるように思えたからかもしれない。
それは、SixTONESのANNの放送時間が土曜日の23時半から25時で、聴き終わった時間からちょうどDGSを聴くことができる時間だったからかもしれない。

それでも、なんとなくDGSを聴くことに躊躇いがあり、数カ月の間はSixTONESのANNを聴いて終えていた。
2年半ほどの聴かなかった期間に起きたことを私は知らない。
15周年イベントがあったらしい、ということぐらいは知っているが、普段の放送で起きたことまではなにもわからない。
特にDGSは通常放送回で生まれるネタが多い。
そのネタをわからず、置いていかれてしまうのではないだろうかという不安で、聴くところまで踏み出せなかった。

そんな私が、DGSを聴く最後のきっかけになったのは、「文化放送エクステンド10周年記念イベント」という謎極まりないイベントの情報が入ってきたことだ。
チケットぴあのお知らせメールで案内されたそのイベントの最速先行受付。
いやいや、なんだそれ……?となった。
エクステンドとは、あのエクステンドであっているのだろうか……?
泥船だなんだとからかわれ続けていたあのエクステンドが10周年……。
それでイベントやるのか……なるほど、まるでわからない……。
浮かんだ疑問は、もう番組を聴くことでしか解決できない。

DGSを聴こう。
SixTONESのANNを聴き終えた土曜日の深夜25時、二年半ぶりに文化放送にチャンネルを合わせた。

聴こえてきたOPテーマは、一年毎に新しい曲になるため、当たり前だが知らない曲だった。
でも、タイトルコールの雰囲気は変わってなかった。
話し始めた神谷浩史の声も、小野大輔の声も、記憶の中のものと変わらなかった。
二人の会話の奥から聴こえてくる構成作家の諏訪さんの笑い声すら、毎週聴いていたあの頃と同じだった。
会話の内容は、わからない部分も少しあったけれど、わかる部分もたくさんあって、それが泣いてしまいそうなほど嬉しかった。
小野大輔は変わらず燃堂力のセリフを言っていたし、エクステンド10周年記念イベントで、キス天下一武道会をやるだの、スイーツペインをやるだの言っていた。
秋と言えばなにか、というごく一般的な会話から、代永翼に電話をかけようという何度聞いてもわからない展開も変わっていなかった。
秋の夜長ギャグを強要される代永翼も変わっていなくて、ひねり出したギャグをそのままなにも拾わずばいばい!と電話を切るのも、なんやかんや理由をつけてもう一度電話をかけ、ギャグを強要することすらも変わっていなかった。

DGSは、なにも変わっていなかった。

それがどんなに嬉しかったか、うまく言葉にすることができない。
久しぶりに帰った地元で、昔、通っていたパン屋さんがまだ営業していたような、営業していただけでなくて、その店のパンを買ってみたらあの頃と同じ味がしたような、そんな安心感。

永遠に変わらないものなどなにひとつない。
あんなに好きだったはずのアニメだって嫌いになる。
あんなに大切だったDGSを聴かなくなることだってある。
過ぎ行く時間は、否応なしになにかを変えてしまうことがある。

それでも、変わらないものがあるのだ。

DGSは変わらず、あの頃と同じ「誰かにひっそり教えたい けれども内緒にしていたい」ラジオだった。
二年半ぶりに聴いたDGSは、あの頃と変わらない、私の宝物のラジオだった。


ときれいに締めてもいいのだが。
冷静に考えて、なぜ小野大輔は未だに燃堂力のセリフを言っているのか?
キス天下一武道会とはそもそもなんなのか?
スイーツペインは?
秋の夜長に、代永翼に電話をかけ、秋の夜長ギャグを強要する流れの不可解さに疑問を呈する人はいなかったのか?
それは15年間も続けるようなことなのか?

あと、結局解決しなかったエクステンド10周年記念イベントの謎。
DGSは聴いていない人にとっても、たとえずっと聴いていたとしてもわけのわからないことだらけだ。
けれどまぁ、そのわけのわからなさがDGSの良さなのだろう。
わかんないけど。

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