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リバーサイドカメラ

男の子の住むマンションの横には川とも溝とも呼べない細くて浅い水が流れる路があって、どれが確かな"好き"という感情なのかもまだ理解していないくらいの年頃、思いついた時にその水の流れにカメラを向けて動画を撮りながら最近感動したこととか思いついちゃったこととかタイミングがなければ誰にも伝えなかったであろうことをつらつらと喋っているのを40秒ほどに収めては女の子に送ってみていた。

女の子は学校でその男の子とよく喋ったりするような仲ではなかった、メールアドレスを交換したのもまだ誰もがメールアドレスを持っているような頃ではなくてケータイを持っている人の連絡先が周るのが早かったからクラスメートとして交換していただけで、だからそのメールを受け取ったはじめは戸惑って返信をしなかったが何度か送られてくるうちに「いいね」とか「わかるよ」とか短い言葉ででも返信する日があるようになった。

そのやりとりは2年間で10回に満たないようなやりとりでしかなく、そのうちにふたりはクラスメートではなくなって同じ学校でもなくなってその関係はどこにでもあるようにほとんど無かったような関係として記憶の中から消えていこうとする。

けれど女の子は20歳を過ぎたころのバイトに向かう電車の中でふとあのときの動画の映像が頭に浮かんだ、それは最近その頃のことを思い出していたわけでもそれを想起させるような出来事が起こったわけでもなく、前触れがなにもなくただその映像だけがポンっと浮かんだ。それによってその頃を懐かしく思ったりその時男の子が喋っていた内容も思い出したり女の子はしなかったけれど「これのことをまだ私は覚えていたんだ」ということに女の子の中で印象が残った、それから女の子は仕事場のデスクや休日のサウナなどふとしたときにその映像をポンっと頭に浮かべてみては「まだ忘れてない」、「うん、まだ忘れてない」と確認してみることが癖のようになっていった。そのうちに動画を送ってくれた男の子のことやそれがあの頃のメールのやりとりだったことは忘れてしまって、画質の悪いどこか細くて浅い水の流れる川とも溝とも呼べないものをポンっと思い浮かべるというだけになっていったのだが、そこで思い浮かべる映像は確かにあの頃の男の子から送られてきたメールに添付されていた映像だった。

男の子は女の子からメールの返信が来たのをとても喜んだ、それと同時に女の子のことが"好き"なのかもしれないと自覚しはじめて動画の質のハードルが自分の中でどんどん高くなってきてだんだんとその動画を女の子に送ることが無くなっていった。高校生になり転勤を繰り返していた家族はマンションから引っ越して都内に一軒家を買った、男の子は就職し最初の2年間は地方で働くことになった、正月休みに都内へ帰省してあの頃仲が良かった友人たちとご飯を食べたその帰りになんとなく住んでいたマンションに寄ってみた、けれどそこにはマンションも水の流れも無く小さな駐車場があった。男の子はマンションが無くなってしまったということについて感慨深くなったがその横に流れていた水について想いを馳せることもそれがあったということを思い出すこともなくその駐車場の写真を撮った。

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