招き猫にゃんとそらさん
猫は、いくつかの名前を持っています
猫の間で名乗る、本当の特別の名前。
にんげんから呼ばれるときの通り名。
仕事をしているときの名前。
にゃんは、仕事をしているときの名前です。
通りすがりのにんげんも、にゃんと呼ぶことが多いようです。
頬骨が高く、しっかりとした骨格、猫の中でも大柄のにゃんは、見事な三毛色の毛皮を持っています。
白い毛は真っ白で雪のよう、黒い毛は真っ黒で夜のよう、赤茶の毛は豊かな大地のようです。
ふわふわとした、少し毛足の長い毛皮であるので、一層、大柄で威厳があるように見えるのです。
にゃんの目は青みがかかった濃い緑色。クリソコラのような、複雑な色合いです。
猫の目は角度によって、光線の具合によって色合いが変わるので、にゃんの目は深い海を覗き込んでいるようだと言われることもありました。
にゃんはいつもの寝場所に、ゆったりと手足を伸ばして横たわっていました。
休めるときには休む。
これが仕事を持つ猫にとっての、大事な秘訣なのです。
だって、ほら、いつ呼ばれるかわからないのですもの。
今も、風になにかが混じっていました。
にゃんは顔を上げ、耳を立て、鼻をひくひくとさせました。
小さな呼び声、感情の揺れのようなにおい、なにかそんなもの。
にゃんはのっそりと立ち上がり、ぐうっと伸びをしました。
招き猫のお仕事の時間です。
*****
そらさんは、おとなの女の人です。
とても勉強熱心な人で、きびきびと動く働き者の女の人です。
心地よく落ち着いた声音の持ち主で、やわらかく話すことも、厳しく話すこともできる人です。
そんなそらさんが、ある日、夢を見ました。
出先でふと見るとお財布にお金がなにも入っておらず、困っているのに家族にもどこにも連絡がとれないような夢でした。
お布団のなかで、はっと目を覚ましても、心臓がどきどきして、息が苦しいほどです。
体はずっしりと重たくて、布団から身動きできません。
どうしよう、どうしよう、どうしよう。
夢だとわかっていても、夢の中の焦った気持ちがそっくりそのまま、胸の中で暴れまわっています。
そらさんが苦しくて目を閉じると、ふわっと風が通り抜けるのを感じました。
そらさんは自分の部屋に立っています。
その足元を、一匹の猫が走り抜けていったのです。
深い青緑の目をした、大きな体格の三毛猫です。
にゃんでした。
そらさんがびっくりして立ち尽くしている間に、にゃんは縦横無尽に走り回り、お財布に入っていたものを取り戻してきました。
数枚のお札と、ちょっと多めの小銭、拾って来てほしくなかったようなレシートまであります。
キャッシュカードとクレジットカード、行きつけの病院の診察券や、美味しいケーキ屋さんのポイントカード。
ちょっと前にもらった、どこかの誰かの名刺なんか、すっかり忘れていました。
にゃんが足元に置いていくものを拾い、財布におさめながら、そらさんはほっとしたり、恥ずかしくなったり、くるくると表情をかえていきました。
これで全部かな?
にゃんは、そらさんの足元に座り、そらさんの顔を見上げました。
ちょっと中身、増やしとく?
そらさんには、にゃんがそんな風ににやりとしたことがわかりました。
だって、片手をあげて顔を洗うなんて、それも三毛猫がそんなことをするなんて、招き猫に違いないってわかります。
後ろから、とことこと真っ黒な毛並みの猫がやってきました。
目の色はキラキラと光るペリドットのようです。夜の闇の中でも輝きそう。
その黒猫は、なーご!と一鳴きして、彼のほうの仕事も終わったことを知らせてくれました。
そう。そらさんの家族にも、なーご!と電話をしておいたというのです。
猫から電話がかかってきたら、家族はどんな顔をしたのだろう。
そらさんは、だんだん楽しくなってきました。
さあ、いまだ。
にゃんが、あくびをするように大きな口をあけて、にゃおーん!と合図しました。
すると招き猫にゃんの仲間たちが、どこからともなく次々と現れました。
トパーズとアクアマリンのオッドアイの白猫もいます。物知りで穏やかで、頼りになるおにーさんの猫です。
短めしっぽの麦わら色のしましまの子猫もいます。いえ、若猫と言ってあげないと、すねちゃうようなお年頃のお嬢さんです。琥珀のような瞳が、好奇心にきらきらしています。
エメラルドの瞳の白と黒のハチワレ猫さんのしっぽは、ひときわすらりと長くて優雅です。毛足が長い種類の血が入っており、顔立ちも少し平たい感じです。
茶色と黒の小粋な縞柄の猫は、だれよりも小柄なのにゆったりとした女王様の気品ある歩みです。虎目石の厳しいまなざしをしています。
その隣を歩むのは、翡翠のような瞳で、もう少し黒い色味の雉猫です。女王様がやんちゃをしないように見張るおねえさんなのです。
彼らの口元には、素敵な石がくわえられていました。それぞれ、きらきらとした輝きが目を奪います。
それだけではありません。
空に小鳥たちがやってきました。黄緑色の頭のちっさなハチドリさんや、白くてフワフワのエナガさんもいます。
さくさんの小鳥たちが、それぞれの羽根の色にぴったりなお花をくわえて、そらさんの前に置いていくのです。
モッコウバラもあります。四葉のクローバーもあります。ノイバラもあります。
香りのよい花や、美しい花の、ちょっとした花束ができそうです。
鳥たちは花を置くと去って行きましたが、猫たちがかわりに、これも要るよね?と見上げています。
にゃんは満足そうな顔になりました。ひげ袋がふっくらふくらみ、ひげもしっぽもぴーんと立っています。
ねえ、そらさん。夢の中だから、ぼくの声も聞こえるよね?
ぼくらはにんげんが大好きなんだ。なかでも、だれかが幸せになるお手伝いをしているにんげんは、ぼくらの同業者だと思うんだ。
でも、そういうにんげんは、自分が幸せになるのを後回しにしちゃうから、ぼくらはそんなにんげんの応援をしようって決めてるんだ。
だからね、ひとりでがんばれないときは、ぼくらを思い出してね。
怖い夢のときは、獏のにーさんも呼んできて食べてもらうよ。
寂しい夢のときは、ぼくらがいれば、ぬくぬくもふもふふっかふか。
楽しい夢のときには、うしろでにぎやかな合唱をつけてあげよう。
ひとりになりたい夢のときには、にやにや笑いで消えてあげることもできるから。
招き猫はいつでも味方にゃーん。
*****
そらさんは目を覚ましました。
あれ?ずっと夢を見ていたのね…
でも、そらさんのターコイズ色のお財布が何やらふくらんでいます。開けてみると、可愛らしい石や野の花でいっぱいです。
そらさんは頬がふんわりとゆるんできます。
ほのぼのと優しい気持ちになりました。
さて、起きよう。
後ろでチリーンと猫の鈴の音が聞こえたような気がしました。