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書籍『コンビニたそがれ堂異聞:千夜一夜』

村山早紀 2021 ポプラ文庫

久しぶりに三郎さんに会える本だ。
2020年の春からの記憶をくっきりと刻み込んだ本だ。
風早神社の娘である沙也加を主人公にして、いつもと少し違う日々が始まる。
欲しいものは欲しいと言わないように我慢してきて、欲しいものがわからなくなってきた人に、ぴったりの魔法の本だ。

ワクチンの接種が進むようになった今から思うと、やはり去年の春はとても追い詰められた気分でしんどかったように思う。
人の死が数として積み上げられて、いつ我が家にも襲い掛かるのではないかと、生きた心地がしなかった。
油断や慣れもあるとは思うけれども、その時に比べると格段と落ち着いたと思う。
相変わらず、あれもダメこれもダメで息詰まる感じはあるのだけれど。

その一年の違いはあるけれど、これは今の物語。
心が疲れた人に、いっぱいのお茶のように、そっと手渡したい物語。
優しい魔法を手にしてほしい。

*****

道路で、時々、事故にあった動物を見つける。
自分が猫が好きなせいもあるのか、猫が事故に遭いやすいのか、猫をみかけては、胸を押さえてうめいてしまう。
猫だけじゃなくて、狸だったり、イタチだったり、鳩だったり、鶏だったり…。
車を止めることはできないし、拾ってあげることはできないし、通り過ぎるしかないことが多い。
せめて道路緊急ダイヤル(#9910)に電話させていただいたことはある。

私は昔から、動物が好きだった。
うにょうにょしたものは苦手なので、虫の仲間はどうしても仲良くなれる気がしないのだが、クラスメートの顔と名前は覚えられないのに、鳥の図鑑ならいくらでも覚えることができた。
自然のこと、環境のこと、いつの間にか興味を持つようになると同時に、人でいることが申し訳ない気持ちになるようになった。
人だって地球に間借りしているだけのことなのに、なんで我が物顔にしているのだろうと不思議になる。

事故ではなくて、もっと故意に動物を殺した話を見聞きすると、何年も忘れられなくて苦しい。
少年たちが公園で抱卵中の白鳥を面白がって棒で殴り殺した話。
弓矢で追われて禁漁区から出てしまったところを殺されたセシルというライオン。
盆栽を倒したことに激高した男性に車のバンパーにしばられて何キロもひきずられて殺された猫のこと。
なんで、そんなにひどいことができるのだろう。
痛かったろう。怖かったろう。悲しかったろう。つらかったろう。腹が立っただろうか。びっくりしているうちに殺されたのだろうか。
せめて、苦しみが短く、少なかったのならいいのに。

人はとても残酷で、ひどいことを平気でする部分をもっている。
自分では手を汚すことはなくとも、興味本位で映像や文章を楽しむ人もいる。
自分には関係ないことだと割り切って、平然と受け流して忘れられる人もいる。
私は少し、割り切ることがへたくそなのだと思う。
すべての動物をすくうことができないといさめられたこともあるが、それでも、苦しくて苦しくて申し訳なくてたまらない気持ちになる。
今、冷房をつけて、電力を消費していることも、白クマさんにごめんなさいだったり、風力発電の風車に翼を切り落とされたワシさんにごめんなさいだったり、するのだもの。

だから、つばめたちが、主人公に助けられたことを歌い継いでいるのなら、なんて素敵なことなのだろうと涙が出た。
自分たち一族の英雄として、そういう素晴らしい人間がこの町にいるのだと誇らしく歌い継いでいるなんて。
そんな風に鳥の歌声を思い描いたことがなくて、涙があふれた。
村山さんの作品は、神様も、あやかしのねここも、猫たちも、そのほかの生き物も、この世界と人間を愛している。
人でいることが苦しくなったときに、人であることを許してくれるから、だから、泣けてしまうのだと思った。

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