アーティストチャレンジ④

④大学時代
なんでもやる

「なんだ高橋は美大に行かないのか?」
高校の進路相談で先生から言われました。
父も私と同じ高校の出身なので、サッカー部で青春を謳歌したら父のように就職する未来を漠然と描いていました。先生からそう言われるまで「大学」に進学するビジョンはおろか恥ずかしながら「美術の大学」があることすら知りませんでした。

なんやかんやあって山形県の東北芸術工科大学にAO入試で合格して入学が決まりました。
なんやかんやの内容については…デッサンを全くやってこなかったので地元の画塾で中島先生に甘えながら色々と教わったり、3年生になる時にサッカー部を退部したり(大泣きしました)

大学生活は最初はとても苦しかったです。
とても楽しかったけど、求めていた楽しさとは少し異なっていました。
当時私と絵のお話が出来る友達が、所属する絵画の団体に年上の方ばかりでした。同級生と切磋琢磨できることを楽しみにしていましたが、あまり積極的に公募展に出展したり自主制作をする人が少なくて、大変不遜な物言いになりますが「こいつら画家になる気あるのか?」と思っていました。
その件について、とある先生に相談したら「お前が引っ張っていけ」と言われました。全然ピンと来ませんでした。

高校のクラスメイト40人中35人が就職していたので、地元に帰って友達と会うたびにコンプレックスを感じていました。
このままここにいても画家になれるわけでもなさそうだし、大学2年生の時に大学を辞めようと先生に相談しに行きました。
そこで仙台の晩翠画廊が開催するワインラベルコンペを紹介して頂きました。なんだか上手くはぐらかされてしまったような気がしないでもないけれど、そこに出展して最優秀賞であるあじろん賞を頂きました。
「ふと」という作品です。

ここで私の絵がワインのラベルになって販売されるという経験をします。当時晩翠画廊のオーナーだった金子さんがパワフルな方で、私の絵を気に入って下さり個展の開催権も頂きました。

正直に言えばその頃は大学に対して文句も多かったけど、それはとても傲慢だったことに気が付きます。

東北芸術工科大学の良いところはたくさんあります。
自然豊かな風土、フランクな先生、学食も美味しい。そして最も素晴らしいのは「芸術工科大学」である点です。芸術学部とデザイン工学部があって、科目の多様性に富んでいます。
他分野の友達とたくさん遊び、個展のポスターや画集はグラフィックデザイン学科の友達に作ってもらえる。企画構想学科の友達が企画したイベントに呼んでもらえる。映像学科の友達の映像に出演したり。サークル活動ではタッチフットサークルで仲間と汗を流し、コンテンポラリーダンスサークルや演劇部で舞台に立ち、気球部で旅行に行ったり(雨天で飛べず)、割り切って思い切り楽しむことにしました。
他にもアルバイトやイベント、あとはSNSに記載するには不適切な可能性のあるようなことまで、とにかくなんでも自由なこの時間を謳歌しました。

卒業制作ではそんなたくさんの人との出会いや思い出をテーマに「綯交」という作品を制作しました。

制作秘話としては、実は最初は恋愛関係の相談を同時多発的に受けていたので、そういった「面倒な恋愛のいざこざ」をテーマに筆を進めていたのですが、絵の具をどんどん置いていく内に、様々な関係性があってこの世界が成り立っていることに気付き、路線変更しました。
結果的に奨励賞を頂けました。

大学時代は青春真っ只中だったので、まだまだ書きたい内容がたくさんありますね。
大学時代の作品の画像もアップします。遊び呆けていたけど、やることはしっかりやっていた証拠としてご覧下さい。笑

#アートチャレンジ #アートチャレンジ7日間
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次回
⑤大学院時代
コミュニケーションに基づく絵画制作

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