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濃姫の遺髪塚について検証を始めましょう・・・ただし、さわりの部分だけなので詳しくはオンラインサロンにて!

岐阜城から西の位置に濃姫の遺髪塚があります

濃姫とは信長の正室で斎藤道三の実娘です・・・
 明智光秀と親戚関係だとか、既知の親しい関係だった
 とか?ドラマと史実が同棲してしまったような
 誤報があふれる代表格です

遺髪塚には天将10年6月2日と示され
その日付は本能寺の変で信長自刃の日付なので
本能寺に同行し気丈に光秀軍に応戦し信長と
一緒に自刃したという一転の史実を根拠とした
妄想やらドラマが数多くあります・・・

信長の本能寺泊(京入り)は中国で毛利と対峙する
秀吉軍の援助が目的なので戦場に赴く大将が
女性同伴ということは当時ではありえない事実背景
から殆どの専門家が否定してます

NHKの大河ドラマで光秀が主人公に描かれたため
光秀に関する多々な出版物やマスコミ記事などが
氾濫してますが、多くは一点二点の史実に基づく
妄想です

当オンラインサロンでは、そういった世間に
氾濫する妄想や正史という歴史の大ウソを
集めて情報交換して楽しもうという趣旨ではなく
むしろ、そういった妄想や歴史の嘘を退治して
歴史の本当を追求しようというアンチ・アカデミック
な集まりです

その光秀は出生について、生い立ちについて
そして死についても不明なのが事実ですが
信長と同じ時期に表舞台に登場し10年余りで
日本の歴史を動かし、本能寺を境にまた突如
姿を消しているので、これほどロマンに満ちた
ドラマのネタはありません

さらに出生や生い立ちは不明とはいっても
妄想を掻き立てる史実といわれる一点二点は
数多く出現しているので、先ほどの濃姫の
塚にある日付から本能寺で信長とともに自刃した
といったロマン同様の妄想が今日多く出現し
世間を覆いつくしています

さて、濃姫ですが・・・
名前すら明らかではありません
濃姫という俗称は美濃国から来た
お姫様という由来です

ちなみに絵本太閤記や武将感状記という
古文書に登場するのが濃姫という呼称です
美濃国諸旧記という古文書には帰蝶とか
鷺山殿とか北の方と記載され武功夜話では
胡蝶と記載されています

いつもいってるように古文書のひとつやふたつ
さらには、その古文書中の一文や二文のみで
妄想して歴史を語るほどの無知愚行はありません

様々な史実の信ぴょう性を判断して、さらに
時代背景や事件背景とのバランスを照合して
初めて見えてくるのが歴史です

当オンラインサロンでは、その信ぴょう性を
判断すべく情報を収集し共有し共同で判断します
また、背景についても共有し、その背景から
どのように歴史として肉付けすると妥当性が
高いのかなどを共同で検討し判断します
いわゆる歴史を教えてもらうのではなく
全員参加で本物の歴史を作り上げようという
仲間の集まりです

光秀についてもそうですが
濃姫についても年齢すら不明です

下剋上の雄、斎藤道三と正室小見の方(美濃国
諸旧記では明智家出身と記載)の娘です
光秀も濃姫も広義で明智家の同族であることは
信ぴょう性が高くとも、その具体的な血縁関係
は残念ながら不明です

さて、信長については広く信頼性が高く
有名な資料として信長公記が挙げられます

ところが、その信長公記に濃姫の記載が
わずか一文のみ、道三の娘を正室として
迎えたのみで他には記載がありません

この事実から・・・
・すぐに離縁された
・病死した
などという推測も数多く登場してます
信長との間に子供もいなかったようです

むしろ信長は側室として迎えた生駒吉之を
愛していたようで信長公記にもたびたび
吉之は登場します

ちなみに信長には正室、側室あわせて
9人いたとわかっていて、さらに当時には
珍しく信長に関わる女性についても多くの
記述があることから、信長は女性に優しかった
のでは?という推論も登場し始めてます

織田家というのは阿波忌部家の一族で
元々は神官の出で尾張に来てから武将として
下剋上の時代に伸し上がってます
その織田家は多産系一族として有名です

一方で生存説も多く残ります
鷺山殿の法名が安土摠見寺蔵の「泰巌相公縁会名簿」
に「養華院殿要津妙玄大姉 慶長十七年壬子
七月九日 信長公御台」とあり、京都の大徳寺総見院
には「養華」と刻まれた五輪供養塔(卒塔婆)がある
ため、この御台様とは濃姫であり78歳で死去した
とNHK大河ドラマ「信長」では報じてます

また寛永年間の「氏郷記」に、安土城二の丸の
留守居役だった御番衆の蒲生賢秀が、本能寺の変直後に
安土城から日野城へ信長公御台君達らを避難させたと
あり、京都 「妙心寺史」では、天正11年(1583年)
6月2日、信長公夫人主催で清見寺住持の月航玄津
(妙心寺44世)が一周忌を執り行ったという記録も
あるので、これらの御台様が濃姫だとする説も
ありますが私見ではそれだけ長寿存命だったなら
なぜ信長公記に登場したいのだ?
信長公記の著者、太田牛一と敬遠の仲だったのか?
という疑問が残ります


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