妬む人からの攻撃性、私の「気」の対処

世の中にはいろんな形の家庭があります。
うちは夫婦間は考え方や感じ方の違いがあることこそ価値を置いているので、違いを素直に話すことで、案外違うようで行き着くところや方向性や感覚的なものを上手くチューニングして、その違いから可能性の広がりを感じるし、共通の意識することに似通ったものがあればそれも可能性を感じてます。

そんなこんなで時たま、意思疎通や遠慮や思い込みで喧嘩してしまうこともありますが、確認したり、言い方が悪かったことは撤回して素直に謝ってます。このスタンスはおそらく夫の寛容さに導かれるので、むしろ感謝してます。私は私で夫の気持ちを労わりたいとも思えるために、必ず喧嘩しても、喧嘩しても批判より、夫が夫でいることを歓迎します。

そのような空気感の毎日は、毎日を充実させてくれ、いつも気づいたら一緒に過ごしてます。そんな毎日の一瞬は二度と帰ってこないから、非常にその時間を大切にしてます。

少しでも、心底楽しんで欲しい。
夫の今生きる気持ちも知っているからこそ、そう願います。いろいろ間違えていい。けど、大丈夫。そのうち何か気づいていく。

そのようにお互い許し合いの関係性を紡ぎ続ける。

そのように築いてきたようで、地道に辛抱強く相手の根本的な何かを信じるようにもしたため、今に至ります。

しかし、この関係性は外に出ると妬まれる。。
特に、周囲を自分の思い通りにしたい人は、妬む。

外的なことをコントロールしようとする人は、私個人のプライベートや家庭の話を無理矢理聞き出し、何か少しでも幸せな雰囲気を察知したら、いきなり揚げ足掴めるものを必死になって探し、しまいには飲んでいるコーヒーに言いがかりをつける始末で、今日は、カフェイン中毒者というレッテルを貼られてバカにしてきました。

呆れたものです。
人は自分の優越感のために、自分の劣等感を私の劣等感にすり替える作業をしてきます。

しかし、本当に厄介です。

そもそも、私はカフェイン中毒者と診断されたこともなく、1日仕事が始まる朝に飲むだけにしています。

その揚げ足取りする人は、その人の離婚した相手が死ねば良い。ひき殺され欲しいと、大声で叫ぶように話してきます。

だけど、それは、、その域に達してアピールできる具合は、非常に危険な気配を感じてます。
私にはどうにもできないし、そう思いたいのは本人の問題で、そのように社会で叫ぶのは倫理観に欠けてます。

私にはよくわかりません。
なので、何とも言わないでほっといてると、そのほっとき具合に苛立ちを抱いているのか、とにかく私に苛立ちを巧妙にぶつけてきます。服装にまで。

自分がどう生きたいか?ではなく、自分がどうもてはやされたいか?に執着しすぎて、盲目状態で、毎日、いろんな人に感心してもらうための自分は正しい、それでも不幸でもすごいアピールに集中していらっしゃいます。
おそらく、自分自身の魂と頭の中の思考、求めることがバラバラで纏まりがつかないし、自身と繋がってないのかもしれません。

自分自身と繋がっているのは何より大切にしている私にとっては、自分自身がどう生きたいかを探すために頭や手や意識を使うことに集中していたい。

自身が本当に求めているものは、気や魂や霊的なもの、すなわち、自分の中にある神さまみたいな霊的なものです。

もしくは、自分の魂の霊的なものを知覚する知性が欲しいと考える私は、スピリチュアルとか宗教とかいう人がいるかもしれませんが、どうであれ、魂は存在すると思うし、そもそも劣等感だって見えない。心は見えない。

プラーナ、すなわち「気」すら目に見えない。

それらを心から見失うと、やはり、自分自身感覚や思考、それと気や魂と乖離してしまいます。

自分自身が魂から喜びを感じて求めているものは何なのか?そろそろ、そのことを真剣に素直に求めることがあっても良いと思うのです。

本当に自分自身と繋がっていたら、必ず見えない神さまのはからいを感じることができるという、理屈では言い表せない何かがあると察してますし、自分の本当の声に傾聴したら、相手の本当の声に傾聴出来る知性がつくと思います。

自分の声を聴く力が身につくと、大切な相手の声を聴く必要性や方法もわかってきます。

それを感じて繋げるのが、いや、結ぶのがヨガであるし、瞑想であるし、毎日の一瞬にでもあります。暮らしでもあります。自分の喜びを知ることで相手の喜びもあって欲しいと考え、気づいていきます。

ソレを知らずに、外に求めても本末転倒になってしまう人はたくさん見つめてきました。殺意を抗うあの人は人を無理矢理外的に批判したところで、自分自身の声の聴く力がないと、外の本当の声とは繋がって行かない気がします。あらゆる本当の声は聞こえないと思います。

もしくは、自身が幸せな気持ちでないから、幸せでない人同士の同じ共感を求めるばかりで、不幸の共有や不幸のアピールばかりで、波長が合わないなら、より良い声は聞こえないのかもしれないです。受け入れたくないのもあるでしょう。

波長が合わないなら仕方ない。
ニーズが違う。だけど、妬まれる念は非常に強くて、時たま、体調崩してしまいますし、その念に引きずられると、本当に厄介です。

今、私はどのように立ち振る舞うか、思案中です。素直に迷惑ですが、おそらく自然と離れるでしょう。そんなものだと思います。

相手のニーズと私のニーズは違う。
相手の彷徨うエゴに盲目となり、迷いの欲求の強さは苦しくて仕方ないからしつこい。そして脆い。

思わぬ課題は、まだ関わっているしばらくの間、本当に自分がどうありたいか?をちゃんと自分の声にまずは傾聴しようと思います。

多分、聞こえてきます。どうしたいのか?が。
相手には関係ない、外的攻撃とは波長が違う自分の内なる気の世界です。

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