小鳥の歌、友に捧ぐ
弟子たちの心は神についての質問でいっぱいでした。
師は言いました。
「神は知られていないお方、また知ることの出来ない方だ。彼について述べられたすべての言葉、おまえたちの質問へのどんな答えも、『真実』をゆがめたものに過ぎないのだよ。」
弟子たちは途方に暮れました。
「ではいったい、なぜあなたは彼について話しておいでなのですか?」
師は言いました。
「なぜ小鳥は歌うのかね?」
小鳥は述べたいことがあるから歌うのではありません。歌があるから歌うのです。
学者の言葉なら理解出来ます。
師の言葉は、理解するものではありません。
それらは、木立てを吹く風、せせらぎの音、小鳥の歌に耳を傾ける人のように聴くものです。
師の言葉は、すべての知識を超えた、心の内側にある何かを目覚めさせるものなのです。
余談、かつてボブディランは「風に吹かれている」を歌った。
「友よ、答えは風に吹かれている」と。
その詩に近い、いや、一致した言葉に思える夜。
私はボブディランが好き。
長崎に生まれ、福岡に居る友よ、その本を読んでいるよ。
電話出れなくてごめんね。
まだなんだか電話出来ないんだ。
友よ、答えは風に吹かれているね。
また、電話するよ。
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