何に生きたいか、を

人はときに息を荒くして様々なことを求め生きてる。

そして多様複雑に価値観競争が飛び交う。

もっぱらよく思うこと。

何に生きたいか?

どう生きていくかを考える能力を授かった人間として私はこう言いたい。

大袈裟にいうならば私は、切実に魂や自分の生命を生きるために生きたい。

死んだあとに残るのがソレならば、それ以外何が必要なんでしょうか?

成功して目立つことでしょうか?
人に好かれるために、自分を良く見せるために、過剰な欲求を満たすために、自分の自然欲求や心を剥がしてまでも、

結果を出すための競争するために生きたいのでしょうか?

タヌキとキツネの合戦のために生きるとでしょうか?

いや、違う。

きっと本当のことはシンプルなんだと思います。

もし神さまが教えてくれるなら、シンプルことなんだと思います。

愛なら愛、なんですよ、きっと。
見えるなら見えるんですよ、現象として

それは、痛みと知性が伴うし、
時として、いや、常に孤独なる心を乗り越えたときに案外軽くなって、空っぽの中に知的好奇心が浮上して、どどどっと渇いた穴に「必要な水」が流れ込むように、一気に何かを満たそうとします。

決して蔑ろにしたくないもの。

知性と「静と動の行動」で真心が出来上がるならば、魂を尊きものに生かせるか。

答えはあえていえない。
ずっとずっと問いかけながら、何かに気づいていくもの。

ずっとずっと。未完成のままに。



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