確信的な同感

私は私の作る「作品」や、私の収集する「物」が、言葉とイメージとの抜き差しならない関係の中で、きわめて補完的な関係にあるということを、意識するようになった。

私の作品は、言葉によって解説されるのではなく、むしろ、言葉に触発されながら、混濁した意識のうちに作品の姿かたちが浮かび上がってくることに気づいた。

彼は自らの哲学と構想に基づいて、時空を超える創作に邁進してきたから、そんな偏狭なカテゴライズを軽々と超えているのかでしょうか?

人類史の中で、アートはその時代時代の表現を模索して、来るべき時代を示唆する道しるべとなってきた。


しかし、そのアートが示唆する時代は資本主義に巻き込まれ、人類史上の新局面を迎えている

と書かれてます

杉田博司著 ― アートの起源 ―より

という序文に、確信的に同感する体験を確認する朝。

そうそう!
私もそんな感じだ!(OvO)

そして、古美術と現代アート、その双方に通じている人は珍しく思います。

似た感覚を持ってる著者に巡り合いました〜(p_-)←嬉し泣き。笑

そうなんですよね〜。。

作品をかたちづくるイメージが、言葉によって触発されたのは、図録でもなく、評論集でもない、詩集でもなく、独白でもない、なにかを、ここに上梓することにした。

そうなんですよ。。うんうん。これまでそれを理解されることが少なく、理屈とされてましたが、ようやく本ではありますが同感する方に出会いました、、。成仏。笑

なんまいだ〜^_^
嬉しい!

すみません。。わたくしめ、冗談抜きで読書したくなり、作業山ほどあるのにもかかわらず、読書させていただいております。

ハラハラ(-。-;

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