のめり込む

私は幼少期から、なかなかきつい家庭環境で育ってきた。

幸いだったのが、関西にいる祖母の存在だった。彼女から教わったのは、「知る恵」という「知恵」だった。彼女はおそらく彼女なりの思想や哲学を持っていた。

「知識」は場合によっては乱暴な暴力に変異するから、気をつけて。と、口には出さず、私にソレを教えてくれた。ひとつひとつの静かな仕草に行く通りの解釈が出来る人だった。

静寂な祖母は若くして他界して行った。

その後、あらゆる大人たちの影響は脆くて、その大人たちが言おうとしていることに対してうなずけるものが無かった。

それこそ、幼い頃から精神的に孤立している気分で寂しかった。

私は頼みの綱の祖母が亡くなって、自分自身で知恵を探す旅のような生き方をした。

そうしないと自分を取り持つ事は困難だった。

ある日、過酷な環境を抜け出す方法を見つけた。

公園の中の茂みの向こうに、別の世界のフィールドがあると想像して、その世界で自分の心を生きようとした。

その世界にあらゆる音楽や絵などを用いた。

その世界では自分の世界観が詰まっていき、夢や理想が溢れ落ちるくらい充満していった。

それに対して現実では、非常に寂しくて虚しい世界で、なんか、空っぽだった。

私はこの現実社会はあまりにも不便だと思い、私の中の別のフィールドにある満ち足りた世界観を絵に描くことにした。

のめり込んだ。ひたすら何十枚の絵が自分の部屋を埋め尽くした。描けば描くほど、写実性や想像性が膨らんでいった。

中学生の時、スケッチする授業があった。
私は充満する希望に満ちた世界はあえて描かずに、現実に崩れてしまいそうな筆のタッチで、景色を描いた。

無意識に大人の人に警鐘したかった。

その絵はすぐさま母が見つけ出した。

学校側も過剰に反応して、進路推薦をした。
母だけは単に絵の良さを見つけただけではなかった。

母は、崩れてしまいそうな景色を共感した。
私の絵の才能を喜んでいた。
そこから、母と私ははじめて想像する力のもとで、心で描く世界のコミュニケーションが始まった。

想像することで、全く違う観点からコミュニケーションが生まれることを知った恵だった。

のめり込む力は突き抜ける何かがあります。

何をするかより、のめり込む姿勢はすごいものです。

私は、今、どうやら空虚な大人になってしまった。

ここ何年かは、絵が描けなくなった。
自分よ、一体どうしたんだ?と問いかけても、シーンとしている。



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