自分との対話

自分とのを対話するには孤独になり、自分の何かに気づきたい今。

たくさんの人と過ごしていると、なかなか上手く出来ない自分がいます。 まあ、周りに気を使って自分の時間が消費されると自分のことを置き去りにしてしまった。

一体何を愛したいのか?
一体何に生きたいのか?

一体何を感じていたいのか?
一体何に気づきたいのか?

単純なことですが、気づいていきたいキーワードは、自然体で生きたいことです。 しかしながら、私は複雑な生き物でなかなか難儀な性格です。なんか自分で自分の意思が掴めない。彷徨い中。

自然体である自分のソレを見つけれたら、自分がある種の意味で自分が改めて「再生」されそうで、

周りに翻弄される日々。なかなか自然体になって生きることが非常に難しい。自然体でいるどころか、人間不信の私は「心の日本刀を非力に持って、ただ牽制して、彷徨いてます。」

そんな私の目に映る世の中は、骨抜きに淀みまくった社会のシステムもギシギシと誰かに負担を掛けて回転してる。必要なところまで回転していたらまだマシで、一部の卑怯者がお利口さんの顔して虎視眈々と周りを翻弄してたくさんの歪みから犠牲者を生み出してる中、冴えて透き通る発想で理想を抱いて現状から抜け出したい願望は、きっと自然なことだし大切で、成りたい「着地点」を見つけることで少しは落ちついて巡りまわって開花するのかなぁ。

だけど、そもそも本当に着地点なんてあるのかな。

なんかそんなとりとめのない自分との対話がうだうだ続いてます。

しかしながらも全うに生きようとすると、なかなかリスクがありますが、全うに生きたらどうなるのな?そうしないといつかこの国ごと滅びそうな気もします。私の話す「全う」は自然原理の意味です。

なんか…そうこうしてるうちにいつのまにか、色々見落として色々な事を忘れて来たのかな。

何かなぁ。


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