足していきませんか?

先ほど軽くヨガをしました。
身体が柔らかくなると心が柔らかくなる気がして、心身ともに心地よい沈黙がやってきます。

Twitterで今日という日の終わりに、今日やったことをつぶやく方がいます。

よく行われているのが、瞑想です。
私も瞑想してみようと思い、瞑想してみました。

心と身体が繋がっていく沈黙の時間。
そんな時に、ふと沸いてくる言葉がありました。

私は現実の関わる人たちに、最近このように伝えてみました。

「そろそろ人の心の痛みや叫びや荒ぶる背景を知ったりして、仕方ない事情を許し合い、「しこり」を手放しませんか?」

長く関わる家族や友人だから、この願いを可能にしてくれたのかもしれませんが、幸い、快く受け入れていただきました。

私はそれも「私のひとつの承認欲求」だと思います。承認欲求でも使い方によっては、非常にあらゆる可能性を引き出すのではないか、とそう信じてます。

そこから、お互いの優れたところを足していきたい。と話しました。

そのためには、承認欲求を持つことも良いかもしれない。

人によっては、

分析する人
情緒的な人
察する人
想像する人
まとめる人
批判する人
許し肯定する人
計算する人

それぞれの絡み合う個性という複雑さが、優れた機転や思わぬ発想を生み出したりします。

SNSではnoteも何年もほったらかしだし、時たまTwitterもほったらかしにしてましたが、最近、幾ばくかの方にとてつもない可能性を感じています。

その可能性を見つめて、瞑想して感じたことを書きたいと思います。

SNSでは悲観的な感想を述べる人が割合多く見受けます。確かにネットリンチなどは、非常に残酷です。

しかし中には能動的で、いろんな考えを行ったり来たりされ、その集中力といったらすごいですし、何よりたった140文字の中で、喜怒哀楽や思慮を織り交ぜて理論立てたり、ウィットを効かせて表現されてます。その中で何より感動させられるのが、「人間味」のある反応です。おそらくその人たちは、自分を持ちつつ変異して、いつか自分自身を昇華させる力があるように思えてなりません。

その人の力は、実際はすごいです。

そんな素晴らしい人たちが生きている世の中には、昔から陰謀を企てる人たちは、います。

その人たちは、人を分断させて弱体化を狙ってひと飲みする計画を、ずっとずっと前から企てていると思います。

私たちは、その人たちに翻弄されて過ごしてます。その人たちはまず見たことはない。しかし、確実に存在して私たちに悪影響を及ぼしてます。

私たちは時には必死こいて、自論を特にSNSで発信します。この世の中が深刻さを増し、膨大な問題に対してより良い生き方を求めて焦れば焦るほど違う考えを持っている人に説得し合います。人によっては遮断してしまいます。確かに人によって遮断したくなる気持ちはわかりますが、それがもし、表層的な部分だけみて遮断したらもったいない。

そもそも本来は、それ自体は全てが悪いことではありません。みんな少なからず、自論に至るまでのそれぞれ培った考えがあります。

私たちはその中で否定しちゃうんです。
なんでかな。。わからない。。。

しかし、そのままだと、

その人間関係の分断を利用する、悪い人たちの企てにのってしまいます。

だからこそ、私は微力ながら、「肯定すること」をフォーカスして、それぞれの絡み合う個性と、その人が生きてきた考えや思想を少しでも足していけないのかなぁ。と密かに願っています。

想像してみてください。

それぞれの人の優れたところを足していくことを。

ものすごく楽しくて面白いと思いませんか?

場合によっては、俗に言う、化学反応が起こります。(量子力学反応かも)

おそらく、あの悪い人たちはそれを恐れていますよ。

あの悪い人たちのおかげでたくさんの犠牲者を出してきました。そしてこれからも。

私たち1人ひとり違うから、可能性の幅が広がり、可能性の割合が拡大します。

今貴方がこの小さな私の話を読んでくださったら、実感していただきたいことがあります。

今、この瞬間の貴方自体がどれほど優れた人であるか、まだまだ未知数なほど、すごい。

とにかく、貴方は貴方の優れ具合は2〜3%しか発揮してないなら、後98〜97%はまだまだ眠っていることになります。

たった2〜3%しか使わずして、今、貴方の優れたところが多様にあるはずです。

すごいですよ、実感して、自分の命をまだまだ生む事が可能です。

そして、ひとりひとりの力を足していったら、どれだけよいか。

悲観だらけの時代でしたが、
そろそろお互い本気で楽しく生きませんか?

そして歓喜を感じて、肯定することから、人の優れたところを認めて足していきませんか?

ひとりひとりの素晴らしいところを噛みしめて生きませんか?

瞑想を終えた時に、強くそのように思ったので、言葉にしてみました。

少なからず、貴方が明日起きた時、
貴方が素晴らしいところを噛みしめてみましょう。

きっとワクワクします。
貴方が大切にしていることがどれほど素晴らしいかを、改めて感動しましょう。

私はかつてデザイン関係の仕事をしてました。
クリエイティブって言うのは「つくる」ではなく、「成る」の方がしっくりきてました。

その「成る」に繋がるのは、めちゃくちゃのめり込んだ時。気づいたら「成ります」

素晴らしい人たちは、自然と成ってきたんだと思います。もちろん工夫されたところあることを前提としてです。

デザインを企画していくなかで、答えのないことによくぶち当たります。しかし、デザインは「コンセプトを狭めたりして解答」する作業の時がよくあります。

様々な考えやアイデアを出し合いますが、それはクリエイティブ合気道並みに、それぞれのアイデアや考えを一回整理してみたりします。

全く違うアイデアでも、反対の考え方でも、観点や見方の尺度次第では掘り出しものやという前提があります。

自分たちのアイデアをカタチにしていく仕事は、肯定する力と批判する力をうまく組み立てますが、やはり肯定的観点から入ります。

そういえば、いろんな違う考えがあっていい。と言うつねきさんは可能性があります。

私たちは、正解を出す勉強の仕方をして来ました。なので、正解をついつい求めてしまいます。

デザインをカタチにする時は、ゼロ地点からいろんなものを参考にしながら、必要に妥協しては、不満は可能性やと察して聞き取りからやり直し。その中で、極めてスーパーポジティブになって、まとまりを求めて、そのコンセプトに当てはめてカタチにします。けど、良いデザインは、私の場合はちょっとしたひらめきとちょっとした工夫が上手く成り立つと良いものが出来上がったりしました。

出来上がった時にたいてい、落としどころかな。とりあえずカタチになったけど、正解じゃないな。。っていう感じで、しみじみ人生にも言えるよね。と、笑ったこともあります。

他にも良い考え方があるなら、べらぼうに期待して楽しみにしてます。

何故なら、またすごいチャンスが潜んでいるかもしれないから。

もしかしたら誰も今すぐ読まないかもしれない。それはそれで良い。種まきです。



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