自明の理かもしれない闇語り

白、光。

これらは陽の象徴とされることが多いですよね。

陽や光という言葉、あるいはこれらがキーワードになるものは、どこかよいもののように捉えられることが多いように思います。

そしてその対となる黒、闇、そして陰。

あるいはそれに属するもの、それが連想されるものは悪いイメージを持たれがちですし、作品などでも然り。


ところで白い光、と聞いてふっと思いつくのが身近な白い光を放つもの。

わたしにとって、それは蛍光灯。(今はもう白い光というとLEDの時代なのかもしれませんがそれも含めて)

実はわたし、蛍光灯の光が苦手なのです。

特に体調が悪い時とか疲れていたり弱っていたりする時はもう本当にあの光がダメなのです。今はだいぶ主流になりつつあるLEDも苦手です。白熱灯に光の色を似せた蛍光灯やLEDもありますが、あれもあんまり好きではないのです。

まあ何が苦手かというと、不自然に白すぎ、明るすぎる光がダメなのです。まるであの白すぎる光線が肌に突き刺さるようで、どうも好きになれません。

体調が悪い時なんか、身体に光が当たることすら厭わしくなるくらいで、できる限り部屋を真っ暗にして闇の中に身を置かないと居られなくなるのです。

電車の車両で最近作られたものは、照明のほとんどがLEDになっていて、思わず車両を変えてしまうほど。その上、今の職場は照明がやっぱりLEDになっているのでわたしには眩しすぎます。

あ、太陽の光は全然平気です。どんなに眩しくても熱中症・日射病にならない程度には浴びていられます。


逆に、わたしは闇がないといられないようです。

夜、眠るときは部屋を暗闇に落とさないと眠れないし、光のある場所で寝たとしても体が休まらない。

創作物においても「闇」を孕むものに惹かれることの方が断然多いし、何よりわたし自身が創作の糧とするのが「闇」の成分のような気がします。真っ白な明るいお話ばかり摂取していると自分の中のバランスが悪くなるのを感じて毒が欲しくなってきますし、何より自分のなかに何も残らないのです。わたしのなかに闇成分を溜め込んで凝縮して昇華させる。これがわたしの創作は基より、わたし自身の基本形のような気がします。

幼い頃からそれは変わらずだったようで、いわゆる正義のヒーローを謳う勧善懲悪なお話はあまり好まず、どちらかというと正義と悪の境が曖昧な作品を見ていた気がします。


結局何が言いたいかというと、闇って大事ですよね、ということ。

闇は悪しきもの、という刷り込みなのでしょうか。どうも昨今、闇が忌避されていて、闇から目を背けようとしている感じがします。でもわたしは光も闇も結局は同じ要素を持つもの同士ではないかと思っています。

光も闇も、どちらも強すぎると視界を塞ぎ、視えるはずのものをを視えなくさせるもの。強すぎる光は眼を焼き、強すぎる闇は眼を覆い、結局は何も見えなくさせてしまう。でもどちらも不可欠なもの。互いの存在なくして存在することはできないもの。こう考えると光と闇って両極端なようでいてとても似ているように思えます。

だから、今の光を重視する傾向はバランスを悪くするのではないかな? と思うことが多いのです。希望の光、という言葉がよく使われますが、光の面だけを見ていてもダメなのではないかと思うのです。希望の光の根元には絶望の闇があることにも目を向けないといけないのではないかと。そうして闇の中から見出す光というのはまた違う輝きを放つのではないかと、わたしは常々思っています。

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