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対戦相手を「迎え入れる」こと――ヤクルトの本拠地・神宮球場を考える

スポーツにおいてその試合を主催する側であり本拠地を会場とするチームを「ホーム(チーム)」とするならば、その対義語は何になるだろうか。一般的には「アウェー(単に遠征地や離れた場所を指す)」が浸透していると思われるが、プロ野球の場合「ビジター(訪問者・来客の意)」という言葉が用いられる。これらの語について深く考えたことがある方はそうそういないと思われる、し、私自身もはじめこそ馴染まなかったもののさして気にしていなかったのだが、このところそういうわけにもいかない事情があちこちで発生している。

事の発端:「神宮はカープの『準本拠地』」

2020年8月12日、東スポの記事である。

タイトルだけでヤクルトファンを苛立たせるなかなかハイレベルな記事である。内容は既に読んだ人とそうでない人といるだろうが、読んだところで一見語弊のあるタイトルだが実はそうでなかったというオチが付くわけでもないので読者の皆様に判断をお任せしよう。

神宮での対カープの成績はヤクルトが2位につけた2018年でさえ9勝4敗で負け越し、低迷すれば言わずもがなと非常に相性の悪いカードである。この有様では相手も若手選手を起用しやすいだろうから「若鯉成長の場」などと言われても仕方ないように思えるが、さすがに対戦相手の本拠地を乗っ取るような表現は許容できない。あくまで神宮球場での試合はヤクルトが主催し、カープを迎え入れて行うものだからだ。
これについては私の独自の解釈を含んでいるため、間違いがあれば指摘していただきたいところなのだが、本来「準本拠地」はヤクルトで言う松山坊ちゃんスタジアムなどの地方遠征の際に使用する球場や阪神にとっての京セラドームのような主催試合で本拠地を使用できない場合に使用する球場である。果たしてカープにとって神宮球場はそのどちらかに当たるだろうか。

無邪気な好意が呼んだ波紋:「神宮ドラゴンズ球場」

続いては記憶に新しい2020年9月1日、朝日新聞のコラムである。

前項とはうってかわって非常に好意的な中日ファンの記者によるもの。
私も(少々現政権に思うところはあるが)中日をヤクルトと共に応援していてかつ神宮球場によく足を運ぶものとして共感するところがある。が、さすがに解し難い一文があった。

ヤクルトファンが聞いたら怒るに決まっているので、ここだけの秘密なのだが、勝手に「神宮ドラゴンズ球場」と異名をつけている。

「秘密なら秘密のままにしておけ」とヤクルト(に限らず)ファンに総ツッコミをさせるハイセンスな一文。「三塁側の対戦チームにも、決して敵地観戦特有の肩身の狭い思いをさせることがない、この球場への賛美の表現である。」と続け、記事全文に中日ファンでありながら神宮球場への強い愛着を滲ませているが、入社37年のベテラン記者とは思えないなかなかの煽り文である。
「神宮球場を賛美する」という前提の一方で、「敵地観戦特有の肩身の狭い思いをさせることがない」雰囲気が神宮にある理由を理解していないか、あるいは長年通いつめているが故の惰性や慢心があるのだろう。何故セ・リーグ5球団のみならず、普段対戦のないパ・リーグ球団のファンからも「神宮はビジターに優しい」と言わしめるのか、そこにホームチームであるヤクルトがいることを忘れていないだろうか、今一度考え直して欲しいものである。

対戦相手=人格のない「敵」ではない

前に挙げた2つの記事に共通して欠けているものは対戦相手へのリスペクトであると私は考える。
近年プロ野球ファンは様々な層に拡大し、また球団側もファンを取り込むために様々な工夫をし、プロ野球を取り巻く環境は大きく変化しているといえる。私は辛うじて好きな番組を観ようと思ったら野球中継に邪魔をされた経験がある世代だが、現在はすっかり地上波での中継はなくなった代わりにそういった「邪魔」にならない配信が確立され、もっと言うならば直接球場に足を運ぶことが比較的特別なことでなくなった。しかし、それだけ日常に溶け込んできた分ファンが身勝手になってしまったのではないだろうか。目の前にあるプロ野球という勝負事と自チームに熱中するあまり、選手を含めた自分以外の人格や試合を行うのに関わる組織の存在を忘れてしまってはいないだろうか。ファン一人一人が自分勝手から抜け出すことがまず相手をリスペクトすることの第一歩になるのではないかと思う。

当然ながらファンにだけ自制を求めるというのは無理な話で、球団側の取り組みにも問題がないとは言えない。私が気になっているのはホームチームのファンへの過剰な優遇である。カープの本拠地であるマツダスタジアムにおける「ビジターファンの(実質的な)締め出し」は球団が意図的にカープファンを優遇しビジターファンを排除しようとしているように受け取られても仕方ない例である。限られた座席数の中でより多くのファンに来場してもらおうという試みがあるのかもしれない、というかそうであって欲しい。過剰な優遇はその対象でない相手へのリスペクトを忘れさせるだけでなく対戦相手という枠を越えた「排除すべき敵」と認識させることに繋がるからだ。対戦相手あって初めて成り立つ勝負事である。順位や球団、個人の成績が関わってくるから試合中に相手チームが敵として映るのは当然であり仕方ないことだが、さながら宗教戦争のような過剰な対立はあるべきでないし球団の側もそれを煽るような運営を行うべきではない。

「神宮はビジターに優しい」ワケ

残念ながら各球団本拠地球場全制覇などといった所業は達成していないし、行ったことのある球場の方が少ないのでどうこう言える立場にはないのだが、それでも「神宮はビジターに優しい」と言われる所以については1つ確かなことがある。それはビジターファンにも公平に敬意を払い、応援するチームに関係なく球場全体を盛り上げようとしているということである。試合開始30分前、スタメン発表の前には必ず1塁側のヤクルトファンだけでなく3塁側のビジターチームのファンにも挨拶をし、自然と歓迎の拍手がスタンドから巻き起こる。グラウンド整備の間のイベントではランダムに選ばれた両球団のファンがカラービジョンを通してじゃんけん対決をし、どちらが勝っても商品が送られる。7~8月には球場が一体となって花火の打ち上げを鑑賞する。また、本拠地が同じく東京にある巨人を筆頭に、他球団と合同で行うイベントもある。
イベントを主催するのはもちろん球団だから、仮に別の球場でも同じことをしようと思えば可能かもしれない(実際地方球場開催試合でも試合前イベントなどは同じように行われている)し、特に光を使った演出を非常に得意としている横浜スタジアムや、設備が充実しているドーム球場なら広いビジョンや照明を活かしてもっと凝った演出ができるかもしれない。しかし派手さはなくとも「いつもの」(としか表現のしようがない)安心感を得られる雰囲気とヤクルト球団の区別なくファンを迎え入れる穏やかな気質とが上手くマッチしてビジターファンにとっても優しく、肩身の狭い思いをさせない「ヤクルトの本拠地としての神宮球場」を作り出しているのではないかと思う。

もちろん神宮のやり方がすべて完璧などと言うつもりはない。しかし相手球団のファンも「アウェー」ではなく「ビジター」として迎え入れるあたたかさに関しては時に他球団の本拠地へ遠征してみると強く感じられるものである。これを「ヤクルトの本拠地としての神宮球場」を訪れるきっかけにしていただけたら幸いだ。

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