合気道を教える(コスタリカ種蒔日記)

 「わー、あるある!やっぱりね」
 画面に並んだ検索結果を見て、私は一人頬をゆるませた。ヒットしたのは武道教室
。さして広くないサンホセの街の中に、少なくとも3つはある。習えるのは唐手、剣
道、そして合気道。私のお目当てだ。
 私は大学で合気道部に入っていた。それまで武道の経験はゼロだったが、仲間や先
生たちに恵まれて、週3回の練習にいそいそと通った。4年生の夏には初段をいただく
こともできた。私の大学時代の思い出の半分以上が、楽しいものもそうでないものも
、この合気道部と切っても切り離せない。
 留学中はさすがに合気道はできないだろうな…と淋しく思っていた。でもそういえ
ば、部活でお世話になった先生たちの中にはアメリカまで教えに行っている人たちも
いる。アメリカでできるなら、ここコスタリカでだってできるのでは?という浅はか
な考えの元、フェイスブックで検索してみたのだ。大当たり!
 とにかく片っぱしから電話してみる。すると家からそう遠くないエスカスという地
区にある教室の講師カルロスが、受話器越しでもわかる満面の笑顔で迎え入れてくれ
た。それも、「今日来てもいいですよ」と。善は急げと、さっそくその日の夕方にお
邪魔した。  
 小中学生とおぼしき子どもたちが元気に走り回っているサッカー場の奥に、道場は
あった。小さな体育館の床に、畳を模して横線のたくさん入ったフニフニマットが敷
きつめてある。腰ひもの代わりにゴムの入った簡易的な道着をカルロスが貸してくれ
た。
 だが、その後に続いたカルロスの言葉に、私は耳を疑った。
 「今日の稽古はあなたが仕切ってね」
 は、はい?  
 いわく、ふだんここで教えている有段者の師範が今は不在。生徒のほとんどはまっ
たくの初心者。そこでいちばん経験の長いカルロスがその間ピンチヒッターを務めて
いる。だが有段者の私が来たとあれば、ぜひ今日は教える立場になってほしい、と。
 理屈は通っているかもしれない。だが私は大パニックだ。大学で稽古を仕切ったこ
とは何度かあるが、目の前にいるのは気の知れた同世代の仲間たちではない。受け身
の練習と称して奇声をあげながら床にダイブしている幼稚園生、、立ったままぺちゃ
くちゃやっているティーンエイジャー女子、アメリカ人のおじいさん…。たったの1
時間とはいえ、名前も素性もわからないこんなばらばらな人たちに、道場に来たばか
りでどこに何があるのかもわかっていない私が、たどたどしいスペイン語で、いった
い何を教えられるというのか。
 しかもそこにはもう1つ大きな問題があった。この教室で教えている合気道は、私
がやっているのとは流派が違ったのだ。流派が違うということは、一つ一つの技の名
前や形、練習の仕方も微妙に違う。現にカルロスが日本語で言った「とぶうけみ」が
何を意味するのか私にはわからなかった。自分が教わる分にはなんとかなるが、教え
るとなるとこれは致命的。「問題ないよ」と笑顔でのたまうカルロスに、「なんでそ
んなことが言える!?」と食ってかかりそうになった。
 だが、もう引き返すわけにはいかない。子どもたちはそのつもりで、慣れない星座
をして待っている。ついに私は腹をくくった。
 稽古のメニューは任せると言ってくれたので、私の流派のやり方で教えることにし
た。前半は合気道の基本となる安定した姿勢の作り方だ。私たちが日常特に何も意識
しないときの立ち姿は、多くの場合実はとても不安定だ。押されたり、重みをかけら
れたりしたら、簡単にぐらついてしまう。だから合気道では、体から余計な力を抜い
たり、しかるべき場所に体重を集めたりして、盤石名姿勢を身につけるのだ。
 「そ、それじゃまず3人組を作って…」
 おっかなびっくり始めた私を救ってくれたのは、誰あろう、生徒たちとカルロスだ
った。とにかくアクティブで楽しそうなのだ。幼稚園生でさえ、こちらが質問を投げ
かけると先を争って答えてくれる。ペレス・セレドンの語学学校で英語を教えたとき
と同じだった。私が言葉につまったときや、説明がうまく全体に伝わらなかったとき
は、英語のわかるカルロスが常に横でフォローしてくれた。
 「まずゆっくり足踏みしてみて。初めは大きく、だんだん小さく。そうそう。それ
から爪先立ち。そしてゆっくりかかとを下す。そのとき意識は常に前ね前」
 私もだんだん熱が入ってくる。3人組になり、そのうちの1人に、何も意識しないと
きの立ち姿と、合気道の安定した姿勢の両方を作ってもらう。後の2人が、その人の
両肩にぐっと負荷をかける。安定した姿勢の方が重みに耐えやすいことを実感しても
らうためだ。
 「どう?」
 おそるおそる尋ねると、 
 「全然違う。ずっといい!」
 中学生の女の子が、両肩に人をぶらさげたまま驚いたように言った。気を使ってく
れたのかもしれないけれど、ものすごくうれしかった。「通じ合えた!」と思った。
 後半はペアになって、初歩的な技を掛け合う練習だ。ちびっ子たちが体を動かした
くてうずうずしているようだったので、技の形の説明は最小限に、とにかく動き回る
時間にした。私も途中から仲間に入り、もう名前も忘れてしまった男の子と、はあは
あ言いながら30分ぐらいひたすら投げ合ったのを思い出す。
 あの子たちは、今どうしているんだろう。あるときぽっと表れて気づいたらいなく
なっていた、変てこな合気道の先生のことを、まだ覚えているだろうか。

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