ミシュレ『魔女』第一の書より
”何人かの著者が断言することによれば、キリスト教の勝利のわずか前に神秘的な一世がエーゲ海の海の岸の上にひびきわたって、「大いなるパンは死せり」と言ったという。「自然」という古代の、普遍の神はその生命を終えたのである。大いなる歓びであった。人々はこう想像した、「自然」が死んだからには、試練もまた死んだのだ、と。”
"キリスト教を記念する初期の書物を調べてみると、その一行一行に「自然」がやがて消えて無くなり、生命はその炎を消し、ついに人びとは世界のおわりに近くという希望が見出される。生命の神々はついにこの役割を果たしおえ、生命への幻影をこんなに長いあいだ引き延ばせてきた神々とは、これで縁切りになるというわけである。すべてが地に落ち、崩れ去り、奈落に落ち込むのだ。「すべて」が虚無に帰する。「大いなる神パンは死せり!」"
"初期のキリスト教徒たちは、総体にわたって、また細部にわたって、過去においても、未来においても、「自然」そのものを呪っている。彼らは「自然」全体を断罪し、そのあげく一輪の花の中に肉体の形をとった悪、デモンをみるところまでゆく"
"ローマ教会なるものはひどく矛盾したことを言うものだ。この神々は死んだと宣言したくせに、ローマ教会は彼らがまだ生きていると言って腹を立てるのである。ー(中略)ー「彼はらデモンどもである・・・」"
"どこに彼らはいるのか。ひとの住まぬところに、荒野に、深い森のなかにか。そのとおりだ、だがとりわけ家のなかにいるのだ。彼らは、家庭のさまざまの習慣のうちでもこの上なく秘められたもののおかげで、身を守っている。女たちが彼らを護り、家の中に、寝台のなかにさえ、隠している。彼らはそこに、この世で最上の隠れ家を(神殿よりも良い)、囲炉裏端と言うものを持っているのだ。"
"ローマがドリュイド僧たちを迫害したのは、ただ危険な国民的抵抗の原因となるからにすぎなかった。ー(中略)ーキリスト教は「学校(エコール)」を一掃したが、それは倫理学を禁止し、また哲学者たちを根絶することによってであってー(中略)ーキリスト教は異教の「神殿」を一掃するが、さもなければその中身を略奪し、さまざまのシンボルを砕きさった。"
"なんということだ!それはただわれわれ人間ばかりでなく、自然全体がそうなのである。悪魔が一輪の花のなかにいるとすれば、薄暗い森の中にはどれだけ多くの悪魔がいることか!人々があれほど清らかだと信じていた光は、夜の子らでいっぱいなのだ。天は地獄でいっぱいなのだ!なんという冒涜だ!朝の神聖な星は、一度ならずその崇高なきらめきでソクラテス、アルキメデス、プラトンを照らしたことがあったというのに、その星はどうなってしまったのか。ひとりの悪魔、偉大なる悪魔リュシフェルになってしまったのだ。夕べになると、今度は悪魔金星8ヴィーナス)が現れて、彼女の柔らかく甘い光の中で、わたしを誘惑の試練にかけようとする。"
"悪霊たちにたいして己があまりに無力なのに腹を立てたこの社会は、悪魔どもを至る所に、すべての神殿に、すべての昔の信仰の祭壇の中にまず追求し、次に異教徒の殉教者たちの中に追及する。もはや祝宴というものを禁じる。そうした祝宴は偶像崇拝の集いであるかもしれない。疑わしいのは家族そのものだ。というのは、慣習にしたがって、集いは古代の、家の竈門の護り神たちの周りで行われるかもしれないからだ。"
"そこで彼らは言った、このことによく耳を傾け、そしてそれに従え、と。何かものを発明すること、創造することを禁止する。もうこれ以上、伝説も、新しい聖人も不要である。もうたくさんだ。新しい歌によって信仰に何か新しいものを付け加えることを禁止する。つまり、詩的霊感は禁じられた。いままで知られずにいた殉教者が万一見つけられたとしても、そうした殉教者たちは慎ましく墓のに控えていなければならず、ローマ教会が確かに殉教だと認めるまで待つべきである。ーこれこそが、カロリング王朝時代のローマ教会の、狭苦しい、慄き震える精神の姿だ。"
"彼らのモラルはー古代初期のモラルと似ている。多くの家族が結びついて一家族を成したのである。ー領主はこの種族「ともに寝起きをする」ー「ひとつのパンを食べ、一個の壺から飲む」この一群の人々を、ただひとつの家族なのだとみなしたのである。こうした無差別状態では、女はまったくわずかしか護られていなかった。ー(中略)ーひとつひとつが独立したとき、囲炉裏端を囲んではじめて本当の家族というものが生まれる。巣ができて、鳥が存在できるというわけだ。そのときを境に人々はすでに事物ではなく、魂となった・・・女というものが生まれた。"
"彼女はただひとつの想いをふところで温め、男が森にいっているあいだ、ただひとり、糸を紡ぎながら、夢想にふけることができる。この惨めな小屋は確かに湿っぽく、締りの悪い戸や窓からは冬の風がひゅうひゅう吹き込むけれど、その代わりに、いつも静かなのだ。この女は、女たちがその夢想を住まわせておく、薄暗いいくつかの片隅を持っている"
まだ途中です