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ミシュレ『魔女』序の章より


『アラディアもしくは魔女の福音』のリーランドに大きな影響を及ぼした歴史家ミシュレの『魔女』をぼちぼち読みながら、気になったところを書き出しておく場所です。

”「『自然』が彼女たちを魔女にした。」ー魔女とは「女性」に固有の「精髄」とその気質なのである。女性は「妖精」として生まれる。規則正しく反復される気分の高揚を通じて、女性はシビュラである。愛によって、彼女は「女魔法使い」である。固有の繊細さ、悪戯気をつうじて、女性は「魔女」であり、ひとに幸運をさずけ、すくなくとも様々の悩みを眠りこませ、まぎらせてやる。”
”男は狩猟をし、戦闘をする。女は工夫をめぐらし、空想する。女はさまざまの夢や神々を生む。女は、日によっては千里眼である。というのは、そのとき女は、欲望と夢想とから成る無限の翼を持つからだ。よりよく季節の動きをはかるために、女は天を見守る。しかし大地もまた天に劣らず彼女の心をとらえる。愛らしい花々を両の目で眺めながらも、若くまた彼女自身花である女は、花々と個人的な関係を結ぶ。女として、彼女は花々に、おのれの愛する人々の病を癒してくれるようにと頼む”
”なんと単純だがしかしひとの胸を打つ。さまさまの宗教と科学のとの端緒であろう!もっと後になると、全てが分裂することになる。そのとき、男の専門家というものが見られることになり、吟遊詩人、占星術師つまり預言者、降神術師、司祭、医師が現れる。しかしはじめは、「女」がすべてである。”
”こうして全ての宗教について、「女」は母であり、やさしい保護者でまた忠実な乳母なのだ。神々も人間たちと同じで、彼女の乳房で育てられ、そこに抱かれて死ぬのである”
"それにしても、この忠実さのために彼女はなんという犠牲を払ったことか!ペルシアの預言者の女王たち、恍惚とさせるキルケ!崇高なシビュラ、なんと残念なことだ!あなた方はいったいどうなってしまったのか?それになんと野蛮な変容であろう!中近東の王座の上から様々の薬草の力や様々な星の運行について教えた女、デルフォイの三脚台で、光明の神の光で輝きながら、跪いている人々に神託を授けたあの女、その同じ女が一千年ののちに、まるで一匹の野獣のように狩り建てられ、まちまちの四辻で追い回され、辱められ、引き摺り回され、石でうたれ、燃え上がる炭火の上に座らされた!"
”シビュラはひとを待っている運命を予言した。ところが「魔女」は、ひとに幸運をもたらしたのだ。これこそが偉大な、真の差異である。魔女は死者を呼び起こし、悪霊を祓い、運命がゆき着くところにゆかしめる。魔女とは古代のカッサンドラなのではなく、未来を確実に見とおし、そのため未来を嘆き悲しみ、そうしながらただ未来を待っていたりはしなかった。魔女は、この未来そのものを創造するのだ。”
”古代の神々から、彼女はおのれの神々を孕んだのである。”
”彼らはサガ、言い換えれば「産婆(サージユファム)」にしか診察を求めなかった。彼女が病人を癒すことができなかったとき、人々は彼女を非難し魔女と呼ぶのだった。ー彼女は「善き奥方(ボンヌ・ダーム)」または「美しき夫人(ベル・ダーム)」(ベラドンナ)という名で、他ならぬ「妖精たち」に与えられていた名で呼ばれていた。”
"人々は、拷問、火あぶりで魔女たちに報いたのである。特別の刑罰が見出された。魔女たちのために、ひとの今まで知らなかった苦痛が発明された。ー(中略)ートリエルでは七千がージュネーブでは三ヶ月に五百が、ヴェルツブルグでは八百がほとんど一度に、バムベルクでは千五百が焼かれた"
”特定の時代には、あれは魔女だというこの言葉を発せられただけで、憎悪のため、その憎悪の対象になったものは誰彼なしに殺されてしまったことに注意していただきたい。女たちの嫉妬、男たちの貪欲、これらがじつにうってつけの武器を手に入れるわけだ”
"わたしの見るところ、われわれの同時代人たちは魔女というものの精神的年代記について多くを調べていない。彼らは、あまりにも中世と古代とのさまざまの関係に重きを置きすぎている。ー(中略)ー古代の「魔法使い女」も、またケルト族やゲルマン族の「うらない女」も、まだほんとうの「魔女」ではない。無邪気なサバジーたちのおこなう、田園的な小さなサバトの宴は中世をつうじて続いたとしても、十四世紀の黒ミサ、つまりこのイエスに対する荘厳な、偉大な挑戦では全くない。"
"「魔女」はいつの時代から始まるのか。わたしは、ためらうことなく、それは「絶望の時代からだ」と言おうーわたしは、ためらうことなく、「『魔女』はローマ教会の犯した犯罪である」と言おう"
"彼女はどこにいるのか。思いもよらない場所に、茨の森のなかに、荒野に、とげやアザミがひとの通行を許さないところにいる。ー(中略)ーこの恐るべき生活が、かえって女のもつ根元の力、女のもつ電気的な力を圧迫し、緊張させるのである。そして彼女はいま、ふたつの天の賜物を授かることになる。そのひとつは、明晰な狂気という天啓でありー(中略)ーもうひとつの才能ーそれは、女ひとりでの受胎という崇高な能力、われわれの時代の生理学者たちが肉体の繁殖について多数の種の雌のうちにいまや認めている単性生殖なのであり、このことは、精神の受胎についても同様に確実な事実なのである"
"ただひとりで、彼女は受胎し、子供を生んだ。が、誰を生んだのか。うっかりすると思い違いをしてしまうほどに彼女に似た、しかしもうひとりの別の彼女自身である。ー(中略)ーこの子供がどうやってこの世に登場するか、あなたは知っておいでだろうか。それは、恐ろしい爆笑である。"
"彼の地下牢とは広い世界そのものなのだ。彼は行く、来る、散歩する。果てしない深い森が彼のものだ!遠い地平線を望む荒野が彼のものだ!豊かな帯で取り囲まれた丸い大地の全てが、彼のものなのだ!魔女はこの子にやさしく言う、「わたしのロビンよ」と。この名こそ、あの勇敢な世間から追われた男、緑の葉かげに生きる喜しげなロビン・フッドのものなのである。彼女はまたこの子を「緑の者(ヴェルドレ)」とか、「きれいな森(ジョリボワ)」とか、「緑の森(ヴェールボワ)」とかいった愛らしい名で呼ぶことを好む。このいたずらっ子の好んで遊ぶ場所だからだ。この子はどこかに繁み(ビュインソン)を見つけると、たちまち道草(エコール・ビユイソニエール)をしはじめる"
"天使たちと聖人たちのあいだでは、答えはいつも諾(ウィ)なのである。ー(中略)ー反対に、この手に負えぬ者、魔女の息子は、言うべきときに否(ノン)ということができる"
"聖人たち、この神の愛でし人々、良家の子弟、彼らはごくわずかしか身動きせず、瞑想にふけり、夢想にふけっている。彼らはその時を待ちながらただ待っているだけなのだ、ー(中略)ー一方彼はというと、この呪われた私生児は授けられるものといえば鞭だけなのに、何かを待つことなどに気を取られてはいない。彼は何かを探し求めに行き、決して休息したりしない。彼は、天と地を股にかけて動き回る。彼は全く好奇心にあふれている、発掘する、はいりこむ、深みをさぐる、至るところに鼻先を突っ込む。「ワガコトオワレリ」など笑い飛ばし、嘲り笑う。彼はいつも言う、「もっと遠くへ!」ーまた、「前進!」と。"
"ローマ教会は「自然」を不純で疑わしいものとして投げ捨てた。サタンはそれをつかまえ、それで我が身を飾る。そのうえさらに、彼はそれを探究し、者の役に立たせ、その中からさまざまの技芸を生み出せる"
"人々はかつて破廉恥にも言ったものだ「笑う者どもに不幸あれ」と。この言葉は、サタンだけに笑う権利を持っていることを認めることー(中略)ーもっとはっきり言おう、笑うことは必要なのである。笑いとはわれわれ人間の本性の本質的作用なのだから。"
"ローマ教会は石灰とセメントで小さな地下牢を建てたが、それは狭く、天井は低く、ーそれが「学校(エコール)」と呼ばれていたのである。ー(中略)ーすべての者がそこに入れられたらさいご、いざりになってしまった。ー(中略)ーもしそこに、ルネッサンスの起源を求めようとするなら、それは面白い試みであろう。ー(中略)ーそれは、丸天井を穿った人々のサタン的な企てであり、地獄に堕とされながら天というものをみようとした人々の努力を通じてだ。ルネッサンスが起こったのは、「学校(エコール)」や教養ある人々から遠く離れたところ、サタンが魔女たちや羊飼いたちに授業を授ける「道草教室(エコール・ビユイソニエール)」に於いてなのである。"


-岩波文庫 『魔女』ミシュレ著 篠田浩一郎訳より
-Jules Michelet LA SORCIERE 1862

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