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祭りの後で。

不思議ですね…なぜ「知らぬ土地の祭り」って、ワクワクするのでしょうか?。

昨日向かったのは、長野県は小諸市の「小諸ドカンショ」でした。
仕事がはけたのが17時半。
職場から一般道と高速を使って現地に着いたのが19時少し前。
会場の市街地中心部から少し離れた駐車場に車を停め歩き出すと、遠くに祭り囃子が聞こえて来ました。

実は小諸にはもう数えきれないくらい訪れています。
40年以上前からですが…そのほとんどが日中か早朝で、夜に歩いた事は2~3回ほどしか無かったりします。
夜間に用事もありませんし、風景写真は日がある内だけですし。

なので、夜の小諸の街は初めてで、おまけに「ドカンショ」は存在は知ってましたが、なかなか訪れるには遠く感じられました。

今年の始め、母が怪我をして入院…私は一軒家に一人暮らしという生活となりました。
久々の独り暮らしでしたが…病院は完全看護で、コロナ対策で出入りは限定的…ならば!と思い切って、普段は出ることが叶わなかった場所に積極的に出掛けてみよう!と決心をしました。
その延長で、退院した母親の予後も良好な事もあり、色々と出かけてみています。
ドカンショ見物もその続きと言うわけです。

小諸は小さな地方都市ですが…普段はあまり人通りの無い街中を埋め尽くすように人が溢れていました。
それでいて不思議なくらいに喧騒を感じない。
水木一郎歌唱の「こもろドカンショ」が流れるなかで「連」が踊り、それを人々が眺め、賑やかではあるのに、とても穏やかに時間が過ぎていきます。

ああ、こういうのが良いんだよねぇ…と、汗を拭きつつ私は思います。
標高600メートルの高原の街としては、夜風はやや温かく感じたけれど、浅間山を流れ落ちてくる空気は心地よい憩いを誘いました。

ここに住めれば良いのに…と、祭囃子の中で思います。
もう幾度も幾度も同じように考えてきた事です。
私は所詮は旅人で、本当の姿と言うものをきっと知りはしないでしょう。
何百という邂逅を重ねながら、確かめるように繰り返し訪れ続けてきた。
それでも心が揺らぐような出来事を経験した事は一度もありません。
いつでも人は親切だったし、優しかった。
規律正しくて、旅人である私は幾度も助けられてきた。
群馬に戻るときに感じる心の重さは、単に生活からのものだけではなく、どこかで息苦しく感じるものを、この土地は孕んでいるからだと思います。

またきっと、私は小諸へと旅立ちます。
移住は状況を考えると難題でありますが…夢は捨てぬよう明日も生きて行きます。


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