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七夕

コロナでイベントが中止になって久しい。
今日は七月七日で「七夕」だ。
地元では、関東でも有数の七夕祭りが例年開催されるのだけど、今年も中止と相成った。

子供時代から見てきた祭りだから、何年も開催されないのが寂しい。
今は平日など閑散としているシャッター街に成り果てたが、それでもイベントがあるだけで人出も増えるし、街が活気づくことは、やはり良いものだと思う。

仙台市の七夕にも行ったことがあった。
規模は勿論、地元のものよりも大きかったが、雰囲気はあまり変わらない。
きらびやかな七夕飾りが揺れ、金紙の短冊が輝いている。
屋台の焼きそばの匂いがして、さして美味くも無いのは知っているのに、財布に手を伸ばしている自分に気づく。

ああ、いいなあ…よくぞ日本に生まれけり、などと、しみじみ思う。
日本から祭りを取ったら、もう何も残らないんじゃないか?。
祭りが出来なくなったら、もう死んでしまおうかな?…などと思える。

コロナで気づかされたものは、日常だと思っていたことが、実はそうとも限らないということ。
ポッカリと心に穴が開いてしまって、それがじわりじわりと広がっていくような。

…以前は人混みはただの「舞台装置」に過ぎないと思い、放浪う気分に埋没しているのが一人旅だと思っていたけど、実は自分も「人混みの中の一人」であり、参加者だったのだと、コロナは教えた。

人と人との距離は、実は思っているほどに長くはない。
指先から少しだけ離れたその場所に、知らない誰かの指先はあるのだ。

七夕が見られなかった代わりと言うのでもないが「青葉城恋歌」を、車内で歌った。
…あの街は、今、元気でいるだろうか?。

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