今日から、そして明日も。

「#あたらしい自分へ」とは言うものの、自らに新しくあれ、と呼び掛けたことは無かった。
私は現在57歳となったが、今の自分から見ても、自分の半生は決して洋々としたものだったとは言えない。
寧ろ荒地を彷徨い歩きながら、時折足元の岩に蹴躓き転ぶような、間抜けな人生を送ってきたと思う。

齢57となれば、夢や希望という言葉が残酷なことは知っている。
新たな人生という言葉が、胸につかえながら吐き出せないでいる澱のようで、胸が焼けるように思えることもある。

ただしかし…それで人生を諦めてしまうなら、折角生まれてきた甲斐が無いのも確かだ。
自分の事だけではなく、出会い繋がれ離れてきた人々との邂逅も無意味になってしまう。
意味ある人生と高らかに叫ぶ気は無いけど、意味もなく諦め、自らを卑下して地獄落ちするような生き方は真っ平御免だ!!。

些細なことだが、たったひとつだけ、誓っていることがある。
それは「いつでも今日から始めよう」ということ。
昨日の続きが今日で、今日の続きは明日だけど…時間の連なりとは別に「意識」というものは時間を越えていくものだと思う。

時間には連続性があるけど、意識は時間に縛られることはない。
自由に意識を展開したければ、時間の檻から出ていかなければならない。
ただ、いつまでも意識の海に漂うだけでは、地に足は着かない。
特定の区切りは必要だ…それを「一日」という単位で…また「今日」という瞬間で決定付けていくのだ。

…いつだって人は誕生日だし、新たな時間を生きて行ける。
人生はいつでも、Happy Birthday。

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