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一星、流れ墜ちる

篠山紀信さんが亡くなられた。
八十三才、老衰だという。

老衰と聞き、ああ、走り尽くしたんだな、と思った。
氏は自由闊達というか、タブーというものをいつも壊して進むような人で…野外でのオープンヌードだったり、多数の芸能人の(それも非常に有名な!)ヌードを撮ったりして、絶えず時代の反逆者だった。

個人的にはやはりというか、山口百恵さんと宮沢りえさんの作品が思い浮かぶ。
共に清楚感を持ちつつも、内に秘めた情念のようなものを感じさせた人。
篠山さんは、百恵さんをストレートに撮影した。
素体を出した、逸品の寿司のような、素材を活かした作品だった。
宮沢さんの時は、少し拵えを使って、彼女の魅力を引き出す形になっていた。
Santa Feという地名に、それは現れていると思う。

オープンヌードは大胆かつ美麗。
見事という他に言葉がない。
「野外で人(ヌード)は違和」というような氏の言葉があったが、まさに!と膝を打つ。
風景は人で多様に変化する。
そういった意味では、風景写真と言えなくもないと思う。

篠山さんの事を考えるとき、同じ写真家である「ロバート・メイプルソープ」を思う。
彼もまたヌードを独自の概念で撮り続けた写真家であり、絶えずモラリズムの波に晒された人であった。
彼は静物的な花もモチーフとして来たけれど、それは「小さなヌード」のように見える。
ネイチャーでは無い、花というものの存在意義を持ち、撮影し続けて来たように思う。

篠山さんが撮った花の作品は知らない。
想像だが、花を代替品に使うよりは、実物の女性のヌードを撮っていた方が楽しいと言ったような、単純な理由な気がする。
この辺は篠山さんをライバル視してきた「荒木経惟さん」が、多くの花の写真を残しているのと対照的で面白い。

ソープは四十三才で若くして亡くなってしまった。
篠山さんが亡くなり、ヌードをおおらかに撮影、発表できる条件は、非常に挟小になりつつある。
時代に寄り添うようにして撮り続けてきた篠山さん。
老衰という言葉に、時代の失墜のようなものを感じてしまうのは、いけないことなのだろうか?。


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