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竹内敏信先生のこと

「竹内敏信先生」が亡くなられていたことを、今更のように知って喫驚している。

先生は、本気で風景写真を撮ろうとしていた私の、まさにバイブルのような方だった。
先生が彗星のごとく写真界に現れる迄は、風景写真とは大フォーマットでカメラを三脚に据えて、決定的瞬間をひたすら待ち望むような撮り方をするのが普通だった。

竹内先生は、報道写真の技術を風景写真に転用したパイオニアだ。
35ミリフィルムを使い、機動性が高い一眼レフで、時に手持ちで被写体を追いかけていた。
アグレッシブなその撮影法が、写真界に与えた影響は計り知れない。

先生はスターそのものだった。
その作品も、先生そのものも。
多くの若者が先生の薫陶を受け、後に続いた。

技術もそれに倣うように、変化していった。
レンズのボケ味などは、昔ならば設計の要素には入ることは無かったろう。
しかし、植物などのマクロ撮影がメジャーになるにつれ、ボケは大事な要素として扱われ始めた。
ソフトがハードを導いて行ったのだ

大きなカメラじゃなくても、風景写真は成立する。
それを証明し続けたのが、竹内敏信という写真家の偉大さだろう。

実は私は二度、彼を目撃したことがある。
ひとつ目は写真用品ショー(今のCP+)での書籍販売でのサイン会。
この一冊は今でも手元にある。

二つ目はなんと!地元での大手カメラ屋の中。
彼はクラシックカメラを集めるのが趣味という側面もあったそう。
中古のガラスケースを真剣に見る彼の体からは、ほんのりと膏薬の匂いが漂っていた。
そのとき、彼の仕事というのは、決して楽なものじゃないのだな、と理解できた気がした。

私にとってスターのままで、彼は永遠へと去っていった。
あのCanonのサンニッパ、白レンズの巨砲を手に、遠くを見つめる姿がいとおしい。
…私はもう少し、自分の好きな写真を撮り続けてから、あなたの背中を追うことにします。
さよなら、竹内先生。

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