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空蝉

「空蝉」とは、蝉の脱け殻の事。

私が十代の時、さだまさしというアーティストに出会い、衝撃を受けた一曲です。

都会に行ってしまった息子を、地元の駅で待ち続ける老夫婦。
足元には子犬。
「現世」を、これもまた「うつせみ」と読ませ、蝉の脱け殻である「空蝉」とのダブル・ミーニングとしている。


古新聞に包まれた「むすび」を手に、老夫婦は何時までも「帰る筈の」息子が乗った汽車を待ち続ける。
その時間は、多分数時間であるはずだが…彼らには、今まで二人が過ごし、戦ってきた時間と何も変わらないのかも知れない。
命を燃やし続けて、やがて埋み火だけが残る二人には、最早時間は朧朧とした存在であり、過去や未来や、真実すらも輪郭を持たぬものなのだろうか。

急行列車が駅を停まること無く駆け抜けていく。
辺りは夕暮れが広がり、駅舎の待合い室も消灯の時間を迎えている。
もう、この駅に停まる列車は無い。

駅員が待合い室に顔を出す。
もう、汽車は来ません…次の汽車は明朝となります…。

…きっと。
夫婦は明日もまた駅に来て、迎えに来る事の無い息子と、その汽車を待つのだろう。
子犬をつれ、古新聞に包まれたお握りを頬張りながら。

多分…息子は亡くなってしまったのだと思います。
都会で何らかの理由で亡くなった息子の死を受け入れられず、夫婦は穏やかに過去の記憶を忘却していく。

蝉は、地中でその生の大半を過ごし、地上に出てから数週間で一生を終えます。
飛び立ち、旅立っていった息子が帰って来ることを待ち望む親は、まるで空蝉のように、心に大きな穴を空けたままの姿で、頼り無く枝下に掴まり続けているのです。




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