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野鳥(とり)たちよ!

温泉で有名な草津町へと抜ける山道を、車で走っていた時のこと。
路上で何か小さいものが動いているのを見つけた。
車を止め、近づいてみると、それは小鳥だった。
車にはねられたか、木から落ちたかはわからないが、息はあった。
ただ、意識が混濁しているようだった。
脳震盪のような状態だったかも知れない。

捨て置くわけにもいかず、上着のポケットに入れ、シートに置いておいた。
そのまま車を発進させ、10分程度ははしっただろうか、小さな声が上着から聞こえてきた。

良かった、目覚めたなとポケットに手を入れると、べったりと糞が!。
野性動物は脱糞することで覚醒すると聞いてはいたが…これは…と思いつつも、鳥を軽く握りながら引き出してやる。

両手で軽く包んでいるだけだが、小鳥は激しく鳴き、嘴で私の手をつついている。
ああ、わかったよ…大丈夫だね、飛べるね、と話しかけ、車外に出て林の中で鳥を放した。
頭上で何度も回るでも無く、名残惜しく別れを言うでもなく、鳥はアッという間に飛び去り、見えなくなった。
私は糞で汚れた手と上着をティッシュで拭き、臭いを気にしながら目的地へと走り出した。

…些細な出来事だが、その時に感じ、理解できたものは決して小さくはない。
その身体の温もり、その細さ、軽さ…。

あれほどに頼りない身体で、冬の日本海を越えてくる鳥たちもいる。
旅の途中で運無く消える生命もあり、ゴールに辿り着いて、子を産み育て、再びの旅へと向かっていく。

鳥は、生きること、生存をすることが、即ち生涯なのだ。
ただひたすらに食べ、狩り、そしてやがて死ぬ。
飛びながら休むことは出来ないから、色々と知恵を使う。
仲間通しで固まる。
高いところに巣を作り、その中で休む。
落ちてしまえば、他の生き物よりもずっと呆気なく死んでしまうのだ。

自然の中ですら、儚いのが鳥だ。
なのに、人はそれがただ一人であったとしても、何十羽の鳥を死地に追い込むことができる。
爆竹をふざけて鳴らすだけで、越冬地の白鳥は逃げ出してしまう。
安定した給餌を保証されている場所から出れば、そこは餌の数も少ない「人の地」だ。
どれだけの個体が、旅の途中で落ちて死ぬのかわからないだろう。

人は十分に傲慢だ。
その傲慢さゆえに、人はここまで蔓延っても来た。
ただ、霊長の長としての自覚が、自分達以外の生き物を全滅させることなく、ここまで導いたと言えるだろう。

小さな小さなその「エゴ」で、自分達以外の生命を奪わないで欲しい。
そのハナクソのような悲哀なんかで、軽々しく他者の未来を消さないで欲しい。

人は、人の中で生きる。
鳥とは違う世界で、人は生きている。
だからこそ、違う世界の住人に、人のルールやゴタゴタを押し付けてはいけない。

他者の生活を侵すことが無ければ、鳥も、その他の野性動物も、人を裏切り危害を加えたりはしない。
狼藉を働く者に罰を与えても、それはやはり、人の世の中だけのことに過ぎない。
本当に必要なのは、自分が人間であることへの自覚と、その責任の大きさだ。



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