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蛍が飛び始めたそう。
蛍が飛び始めると夏が来るな、と思わされる。

蛍は、風がなく雨も降っていない夜半に飛び始める。
湿気っぽい夏の夜だから、汗も滲むし、蚊にも刺されやすいしで、イメージほどロマンチックでもない。
ただ、あの光を見ていると、催眠にかかったようにデジャブを覚えるのは不思議なものだ。

確か、蛍の光の明滅は「1/fゆらぎ」では無かったか。
リラックス効果がある明滅パターン。
あの明滅は、メスが自分の居場所をオスに伝えるためと言うが、どうやらヒトには安らぎやノスタルジーを与えるらしい。

蛍狩りなどし、虫籠に入れて家に持ち帰っても、蛍はすぐに死んでしまう。
元々が生命力が強いわけではないし、成虫になれば殆ど食餌というものをせず、幼虫期でも特定の貝などしか食べないので、環境が悪化すれば忽ちに消えていってしまう。

蛍とは悲しくも憐れな虫である…と思っていた。
アレを見るまでは!。

長野県に辰野町という場所がある。
「辰野ほたる童謡公園」という広大な公園があるが、そこでは蛍を大々的に保護し、幼虫の発育を助けている。
夏になると大勢の観光客が訪れる、蛍の大観光地となる。

六年前の夏。
私は念願だった辰野町の「ほたる祭り」に出掛けた。
JR辰野駅を下車すると、大勢の人並みにいきなり遭遇した。
駅前が祭りのメインロードになっているらしく、なんとも賑やかだった。
しかし公園の場所はその反対側らしく、行列に続くように狭い夜道を歩いていった。

道は住宅地へと向かい、小さな水路が流れる、旧い町並みへと続く。
時折ふわりと、明るい光点が漂っている。
出迎え蛍か?と、ひとりごと一つ。

人の流れが止まる。
公園の入り口に着いたらしい。
入場料を払い(確か300円ほどだったか)入園した。

公園は、しかし草ぼうぼうの有り様で、おおよそイメージとはかけ離れた場所だった。
まだ時間も早いこともあってか、蛍はほとんど飛んではいない。

ただ何もない場所で、腹を満たせるようなものも全く無い。
徐々に暗くなってくるが、蛍が飛び始める気配もなかった。
だんだんと不安になってくる。

やがてあちこちで光が舞い始めるが、果たして名物という程のものでもない。
…いやしかし、蛍は飛ばないときには飛ばないものだし、期待が過ぎたのだろうと諦めかけたとき、公園のより奥の方が明るく輝いているのを見つけた。

…なんという事だろう。

少し窪地になった草原が、まるでライトアップされているように輝いている!!。

蛍光灯の名の如く、緑色の鮮やかな光が、点いては消え、消えては点く。
果たして何千何万匹いるのだろうか。
その動きはまるで打ち寄せる波に似て、眩しく輝いたかと思えば、周囲の闇に呑まれるように消えていく。
あの数匹でふわりふわりと飛ぶ蛍ではない。
強いて言えば、夜の海に押し寄せる小さな烏賊のように、圧倒的なエネルギーをもって存在しているのだ。

普段私たちが思うような自然観というものが、単なる一例に過ぎないことを、この夜の蛍は示した。
自然は大いなる存在であり、畏怖すべきもの。
自然を護ると言うことは、人間のエゴイズムからだけではなくて、人間が自然の姿を誤らず記憶に留めていられるようにするために行う「行」なのかもしれない。

公園からの帰り道、住宅地の水路でふわふわと頼りなく漂う蛍を見た。
…多分、この蛍の生は長くあるまい。
生きてまためぐり会うこともないだろう蛍に少し歩を止めた後、私は再び歩き出した。



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