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Ray-Coo(ルミネセンス)

昔から乗り物が好きだった。
子供の頃は、バックシートに弟たちと一緒に乗せられ出かけた。
それは新潟の海であったり、長野の温泉だったりした。
自分が車を所有し、遠くへと出かけられる今となっても、不思議とあの頃の光景は忘れられない。

国道18号線を西に走っていくと、安中市の市街地の手前に、山ひとつ使って作られたような、大きな工場が見えてくる。
「東邦亜鉛安中製錬所」だ。

都会の摩天楼を知らなかった群馬の小学生には、この製錬所の灯りが「文明の灯」に映った。
碓井川の対岸に、青白く光輝く「それ」は、漆黒の闇の中に浮かび上がる要塞のようであり、半永久的に動き続ける「自動機械」達の住処のようでもあった。

世に「工場萌え」という言葉がある。
巨大工場プラントの異形を見たり、写真に撮ったりして萌える事を指すらしい。
私の場合もそれと同じで、旅行の行きに帰りに、この光景に出会えることを心待ちにしていたものだった。

そんな密やかな愉しみを持っていた私だが…或る日、同じように製錬所の横を通りすぎようとしたとき、かかっていたカーラジオの一曲が、景色と共に脳裏に焼き付いてしまった。
…「ANAK(息子)」という曲。
歌手の「杉田二郎」が歌っていたヒット曲だった。

家を出て、都会ですさんだ暮らしをしている息子への、父親からのメッセージソング。
異性との恋でもなく、愛でもなく、父親の情をテーマとした曲は、当時は異質に感じられるものだった。

…今思い返しても、工場の夜景と肉親の情愛との共通点は皆無に等しい。
ただ、水銀灯の青白く柔らかな光の中に、家庭の団欒…蛍光灯の薄青い光の下での時間が、重なって見えたのかもしれない。

歳をとって面倒くさがるようになったが、昔は夜景を撮るのが好きだった。
水銀灯の緑色や、ナトリウム灯の黄色の光に染まった景色は、無機物が生き物に変わる魔術を得ているようで魅力的だった。

しかし何故か、あの製錬所の夜景だけは撮ったことがない。
理由もわからない。
ただなんとなくタブーのような気がして、足が向かなかった、と言うことだ。

業務が縮小されて、製錬所の灯りも少なくなった。
おそらくはこれからも縮小は続き、もしかしたら製錬所そのものも閉鎖されるかも知れない。

世の流れ、時間の流れ…人生は時の流れの上に揺蕩う小舟だ。
思い出もまた、霧のように消えいく。
私の身体と共に、いつの日にか。

…と終わろうと思って気付いたことがある。
「ANNAKA」と「ANAK」…スペルが似ている。
これって…いやいや、偶然だよね???。

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