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最後だとわかっていたなら

ワタシにとって大嫌いな2月が終わって、気づけば、3月も半分近く。。

最近、営業のような仕事をたまにしていますが、毎回、反省あり、発見あり、1週間があっという間です☺︎


今日はお仕事とは関係のない話。

2月の終わりは私をうんでくれた母と、ドッグサロンを始めるきっかけをくれた、最愛のダックスフンドの命日でした。

ふたりは、同じ月の同じ日に亡くなり、今は、天国にいます。

ワタシは、この時期になると、

「最後だとわかっていたなら」というアメリカの詩を思い出します。

昨日、帰って、テレビをつけたら、10年前の震災で、ご家族を一度に、亡くされた女性がインタビューを受けてました。震災を経験したり、大事な人をあんなに突然、亡くした方にとっては、まだ、たったの10年です。

大きな悲しみは人を強くしたり、優しくしたり、生きぬく力を与えるのかなと、思うときがありますが、経験した本人にしか、わからないことばかりですよね。

私も実の母を6歳のとき、癌で亡くしました。父は、東京の癌センターまで、母を連れて行ったり、当時の医学では、できる限りのすべてを尽くして、母を救おうとしました。

まだ、小さかった私も、姉と一緒に、ただひたすら、母が元気になることを信じて、

毎晩、寝る前、トイレで神様に祈ってましたが、言葉にできないくらい、壮絶な闘病の末、母は亡くなりました。

近所の人や親戚に会うと、たいてい、いつ見ても綺麗なヒトやねぇと言ってもらい、容姿端麗で誰にでも優しく、聡明な母は家族にとっても、自慢の母でした。

ワタシは当時のことを、わりとはっきり、覚えていて、

母が闘病中、何度も自宅で倒れ、救急車で運ばれたり、助からないと、余命宣告された後もできるだけ、私達家族と過ごす時間を大切にしようとしてくれていたこと、亡くなる2ヶ月前のクリスマスに病院を抜け出して、私達へのプレゼントを買ってきてくれたこと、

忘れたくても、今でも忘れることができません。

最期まで、幼い私達を残して、旅立つことへの未練や悔しさみたいなものを、たくさん、抱えて、めずらしく、大阪に大雪が降った日に、母は逝ってしまいました。

きびしく、強い父の涙をこの日、初めて、みましたが、

私はお葬式が終わっても、何日も、ただ、泣き続けることしかできず、父の本当の悲しみに気づいたのは、ずっと何年も先でした。

母をはやく、亡くしたワタシは、この時ほどの悲しみにまだ、出会っていません。 

今でも、ときどき、母の悔しさや寂しさを思うと、涙があふれます。

それから、30歳のときには父を、4年前の母の命日に、最愛の相棒を見送りました。

人生の中で、人の死や自分の大切な存在とのお別れ以外は、生きてさえいれば、何でもないな!と、幼い頃に学んだので、ワタシは人より、少し、たくましく、生きてこられたように思います。

今の母がワタシ達を本当の娘のように育ててくれたのもありますが、2人の母と父からの惜しみない愛情のおかげで、何不自由なく育ててもらい、

ワタシからすると、本当の母が2人いる、そんな感覚です。今の母とは、一緒にデパートに行けば、本当の親子のごとく、お母様とそっくりですよね!と言われるので、ヒトって不思議なものです☺︎


「最後だとわかっていたなら」の詩の中に、

もし、明日が来ないとしたら、あなたは今日を後悔するだろうから。

という一文があります。

毎日、あたりまえに、誰にでも明日はくると思っていませんか?

大切なヒトへ、自分へ、今日が最後だったとしても、後悔ないよう、毎日を過ごせていますか。

そういうふうに生きれたら、幸せだな。と毎年、この時期、天国にいる2人をおもいながら、同じことを考えています。

























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