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モノに心が宿る②

このpostは以下の文章の続きです。

祖母の信心深さと
祖母が亡くなったときに起きた出来事で
やっぱり神さん(神様のこと、祖母は敬意と親しみを込めこう呼んでいた。)は
見てはるし、守ってくれてはるんやな、
という気持ちが大きくなった。
それに今までの自分の行動や感情、
振り返ってみて、祖母から受け継いだと思う
そんな想い行動が表題のこれ。
「モノに心が宿る」

家の家具にぶつかったり、
手に持っているものを落としたり、
そんな時にそのモノにあたしは謝る。
「ごめんごめん」
時と場合によってはそれを撫でる。
さすがに外ではやらないけれど
家にいると結構な割合でやってしまうことに
ごく最近、気づいた。

象徴的なことはこれだ。
あたしは前職、化学工場で働いていた。
「担当者が変わると設備がいうことを聞かない」
というジンクスがまことしやかに囁かれていた。
笑ってしまうのだけど、事実。
しかし、状況はハッキリ言って笑えない。
今までトラブルを起こしたことのない製品の
生産がうまく行かなくなる。
突然設備不良で停止する。
意味がわからない。
ベテランもお手上げのそれ。
あたしは割と長く働いていたので、
この「理由なき反乱」を何度も目にしてきた。
しっちゃかめっちゃかが手に負えなくなった頃、
あたしは現場へ行き、
設備や機器を撫で、こっそり言い聞かす。
「もうそろそろご機嫌治してね。頼むよ。」
この裏技で何度も危機を脱してきた。
嘘じゃない、本当に。
信じられないことは起こる。
神に縋るしかないそんな状況で祈る。
何度も助けてもらった、
そう思っている。
ただし、真実はどうかはわからない。

根性論とか精神論を他人に押し付けるつもりは
さらさらなくて、
数多くのこういった経験から、
熱意や思いを込めたものっていうのは
届くべきところに届くんじゃないかなと
自分は信じている。
フル回転している設備に、
本当はメンテナンスすべき機器に、
感謝して磨いていたことは、
ありがとうと声をかけていたことは、
きっと届いているんじゃないのかな、
モノにも心が宿っているんじゃないかな、
そう思っている。
ここぞという時に、
絶対負けられない勝負の瀬戸際に、
彼らにいつも助けられていたなと思う。
「踏ん張りどころだよ!頑張るよ!!」
って設備に声をかけていたことなんて、
きっと誰も知らない。

長年働いていた危険作業伴う業務で
大きな事故やトラブルに見舞われなかったのは
どうしたって守られていると思うしかない。
通常あたしくらい長く現場仕事に関わっていると
数回くらい巻き込まれているものだ。
やっぱり守られているな。

きっとこれからもこういう風に
生きていくんだろうな。





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