大学時代の話



こんばんは〜


今日は大学の時の話を少ししたいなって思います。



あんまり思い出したくない記憶なんですけど、同じサークルの全く絡みなかった人(男性)と仲良くなりたくて、いきなり誕生日にバースデーカードを送ってしまったことがあったんですよね。


振り返ると普通に距離いきなりそんな詰められても、、て拒否反応出ると思うし、それ以前に、私には気になっている人がいて、その人に結構ヤバい(今思うと)アプローチしていたので、そこまで気のない人への接し方が雑になっちゃってたのもありました。



結局居づらくなって、逃げるように学校に行かなくなり、結果精神病になっちゃったわけなんですけど。笑


今思うのは、自分の好意を受け取る側は、自分と同じ考えや感じ方をするだろうと思い込まない事が大事だったんじゃないかなって思っていて。

こうしたら自分は嬉しいから、それが相手にも当てはまるんじゃないか、とか。

Xに毒されすぎだと我ながら思うんですけど、好意を持ってアプローチされる女性が一定数いて、不快感を感じている人もいて、逆に拒絶される男性はなんでここまでアプローチしてるのに、ってストレス抱え込んでるように見えてます。


正直、男性側の立場が分かりすぎて(経験上、自分にとっては必死にアプローチしてたな、と振り返ったら思う)なんで男女逆転してるんだ、、って今でも思うんですが。
(女として魅力ないからだよ〜🔪って声も聞こえてきそうですが)



当時は自分の考えや感じ方と、他人の考えや感じ方は当たり前に違うってところを見落としていたのかな、って思いました。

だから、女性でも男性でも、アプローチするにしてもそこが欠けているから気持ちが通じないって現象は起こり得るんじゃないかなーというのが最近の総括です。



そこは分かっていて、あえてストレス解消だったり、存在が目障りとか許せないとか、そういう理由でXで議論されてる男性も多いのかな、と最近は感じているのですが、女性の言動の根源はそういうのじゃなくて、自分の気持ちが周りに通じて欲しい思いがある事、であって欲しいなと思います。
追記:(いや、分からんけど、ストレス溜まってる事とか存在が目障りとか許せないとか思ってる気持ちを相手に理解して欲しい、とも思っているのかもしれない、)

でも、自分の気持ちを分かってもらうって普通に利己的な行為ではあるので、感情論に反感が出る(主に自分を主とした)のはなんとなく分かってきました。なんなら、感情必要ないと思っている人も優しいんだな、とは思ってます。





でも、人間の行動の根源ってやっぱり自分の感情とは切っても切り離せないと思うし(自覚してない感情も存在するだろうし)、何より同じ感覚を持ってる人達が周りにもいたとして、その人達の助けだったりあるいは希望・望みになるのかな、とかも考えます。

ここで恐らく、同じ感覚を持っている、という発想になるのがあり得ない、前半の主張(相手と自分の考えや感じ方を同じだと思い込んじゃいけない)とは違うだろ、と思う人が出てくるかと思うのですが。

例えば簡単な例で言うと、異臭がした時に今臭くない?みたいに確認するとかは、自分の感じた事ではあるけれど、不安に感じている(であろう)周りの人への思いやりなのかな、とも思うんです。自分が異臭を感じてすぐ、異臭の原因を突き止めて早やかに処理する事ができればそれがベストだと思います。


でも、例えばこの異臭が生きてる人間の体臭だったりとかした場合は、周りのことも考えて処理するとなると難しいですよね。非難浴びせるとかして追い払うっていう手段の方も居なくはないと思うけど、常識的には自分がその場を立ち去る、ぐらいなのかなぁと思います。もうちょい上手い例えができたら良かったんですけど、なかなか良い例が思いつかなかったな、、


この例の場合、同行者がいた時には同行者と感じ方を共有して離れるとかするのに、その自分の気持ちを表明する、というので使われる。


なので、自分の気持ちを伝えようとする、表明する有用性は無くは無いんじゃないのかな、と思います。


私は感情論を理屈で捉えようとしているので、人によっては何言ってるか分からんな、、と思う人もいるかと。

でもまあそれが楽しいのでやってます。
感情論が理路整然となったら、自分も生きやすくなると思うから。


そんなわけで、大学時代の話と自分の今主張しておきたかった事、の話でした。

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