『ぼくらのよあけ』〜ルールを破る主人公〜

『すずめの戸締り』の記事で少し触れたが、少し前に『ぼくらのよあけ』を観てきた。
大人の志摩りんが観られるだけでもう嬉しい『ゆるキャン△』に、名作の続編として限りなく満点に近いレベルを叩き出したであろう「トップガン マーヴェリック』、先日の『すずめの戸締り』と、今年映画館で観た映画は当たりが多くて嬉しい。今年見る映画は、あとは『アバター:ウェイ・オブ・ウォーター』ぐらいか。

ざっくり感想

名作や傑作と呼べるほど突出した何かがあるわけではないが、優等生的な出来で"ジュヴナイルの良作"というイメージ。おそらく既に劇場での上映は終わっているので、配信などで機会があれば観てもいいかも。
子供向けと言ってしまえば子供向けだが、おそらく下手なドラえもん映画より遥かに出来が良い。
ジュヴナイルなので、変にギスギスしたところもなく、清涼感があって視聴中の味の悪さみたいなのも無い。
以前書いた通り、花澤香菜氏演じる母親が最高。それから、音楽を担当している横山克氏好きです。同氏はアニメ版『四月は君の嘘』などの音楽も担当している。因みにおすすめは『クイーンズブレイド 』というエロファンタジーアニメの曲。
本作に話を戻すと、ツッコミどころが無いわけではないが、さほど気になるものではない。
作品の粗を敢えて挙げるとするなら、今回飛来した彗星に物語上の役割がほぼ無かったのが残念と言えば残念。全く意味がないわけではないのだが、もう一歩踏み込んでも良かったんじゃないかなとは思う。

とにかく、良い意味でコンパクトに1本の映画に収まっている。本作は同名の漫画(全2巻)が原作だが、未読でも全く問題なく楽しめる(筆者も未読どころかあらすじすら碌に知らなかった)。原作はもう少しボリュームがあるはずなので、原作の要素を上手く取捨選択できているのだろうと思う。


ルールを破る主人公

さて、タイトルに書いた「ルールを破る主人公」について。
ここでのルールというのは、法令から親の言いつけに至るまで、様々なレベルのものを含む。
主人公がルールを破る現象は、創作においてジャンルを問わずに見られるもので、例えば恋愛ものでも、病室から勝手にヒロインを連れ出したり、なんていうのもある。特に未成年が主人公の作品では、主人公が規則を破ったり、親(大人)の言うことを無視して勝手に行動したり、というのはよくある印象。
主人公がルールを破ってハッピーエンドに繋げるストーリー展開にはある種のカタルシスがあるというのもあって、おそらく、人気映画ではだいたい主人公がルールを破っている。

先ほど満点に近いと書いた『トップガン マーヴェリック』でも主人公がルールを破っていて、主人公マーヴェリックが勝手に演習場に進入して、不可能と思われていた作戦が実行可能であることを身をもって教え子達に示すという、作中でもかなり重要かつ鳥肌モノのシーンがある。まあこれについては、マーヴェリック自身がそういうキャラだし、僕としても「トム・クルーズだしいいか」みたいな感じはあるのであまり気にならなかった。

ルールを破るような破天荒さが無いと主人公になれないと言ってしまえばその通りだし、物語では基本的に「ルールを破ってでも行動しなければ打開できない状況」なので、主人公がルールを破ることについてはある程度仕方ない部分はあるだろう。それでも最近は、主人公がルールを破っているのを見ると、なんだかなあと思うようになってしまった。

そもそもルールを破るなよという話なのだが、最大の問題は、主人公(たち)のルールを破ることに対する危機意識みたいなものが低すぎる(リスク評価が甘すぎる)ことにある。
彼等がルールを破ることによって問題が解決するのは、ほとんどの場合、"たまたま""運良く"うまく行っただけであって(勿論メタ視点で見れば成功は約束されているわけだが)、それにより大惨事になる可能性の方が遥かに高かったはずだ。ルールというのは、そうした惨事を防ぐために存在するのだから。そして、主人公の成功の裏では、ルールを破ったことによる失敗事例が無数に存在するはずなのである。
それにもかかわらず、大抵の場合「ルールを破ったけれど結果オーライ」みたいな感じになってしまう。
「くだらないルール」とか「大人は勝手だ」とか言って暴走するのは結構だが、その身勝手な行為の結果について責任を取れるのかということを今一度考えてほしい。

さて、何故『ぼくらのよあけ』の感想記事でこんな話をしているかというと、本作が「ルールを破ること」に対して曲がりなりにも向き合っていた話だったからだ。
ここから先はネタバレ注意。

本作では、主人公達が団地の立ち入り禁止の屋上で宇宙船の再起動を試みていたところ、それが親に見つかり、家に連れ戻されるシーンがある。
親には改めて屋上への立ち入りを禁止され自宅にいるよう命じられるが、主人公達はどうしても宇宙船を再起動させる必要があり、そのためには屋上に宇宙船のコアを運ばなければならない。
そこで主人公は、ナナコ(ロボット)にコアを屋上まで運ばせることで、自らは屋上に立ち入ることなく、宇宙船の再起動に成功する。

「屋上への立ち入りを禁止されただけで宇宙船の再起動を禁止されたわけではない」という主人公の主張は"屁理屈"なのだが、子供なりの論理とて一応認めることはできる。
屋上への立ち入りを禁止されているのは転落の恐れがあるからで、屋上に行かなければその危険はない。曲がりなりにも行動を正当化する"言い訳"を用意しているわけである。

屋上への立ち入りが禁止になったのは、おそらく以前におじさんの転落事故があったからで、実際に作中でも子供が転落しかけるシーンがある(あの場面で、小6の女子が子供とは言え人1人を片手で支えるのはどう考えても無理だとは思うが)。
あのシーンで母親が怒るのは当然だし、ここの花澤香菜氏の演技がとても良い。ルールを破って何か起きた場合、母親も言っていた通り「ごめんなさいでは済まされない」のだ。
(解体予定の建物に入ること自体が危険だし、そもそも「家から出るな」と言われていた気がするので、結局親の言いつけには反しているのだが。)

また、ナナコや宇宙船が主人公の行動を母親に伝えることによって、間接的に主人公をサポートしていたというのも良い。子供が暴走する事例では、親や大人を巻き込んだ方が上手くいくので。
だいたい、物語においてキャラクターが周りに頼らずに何とかしようとした場合、問題を大きくするだけで、最初から周りを巻き込んだ方が良い結果になる。

ということで、ルールを破ることへの言い訳をきちんと用意してほしい。何らかのサポートシーンを入れてほしい。それだけで(僕の)印象はかなり変わるので。

それでは。


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