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<あなたへの証し> ~第1の書 『教会への道(1963年4月~2006年10月)』~ <第1章『真理を求める』(2)>

 『目で見えている範囲の事はもちろんのこと、見えてない事や大人が教えてくれない事をも含めて、この世界すべての事を説き明かすことのできる不変の法則』 

 大人になってこれを『真理』と言う言葉で表現出来るようになるのですが、つまり 

「僕ら人間が、絶対的に知っておかなければならない、この世を貫く不変の法則、すなわち『真理』というものが、きっと存在する。でも、理由はわからないけれど、それを大人や学校は教えてくれない。」 

と思ったのです。僕は何十年もこの『真理』を求めて来ました。物事がうまく運んだ時には、「『真理という法則』に乗ったから。」、失敗した時には「『真理という法則』に乗れなかったから。」、こんな事を考えました。しかし、いつも目の前にあるのは結果であり、その結果を導く『真理という法則』そのものは分かりませんでした。 

 しかし、この世界では、当たり前のように、「信じられるのは結局自分だ。人生は自分の力で切り開くものなんだ。」と教えます。ですから、段々と「自分の力で成し遂げた。」「自分の力で成功した。」「自分の力が及ばずに失敗した。」などという考えも持つようになりました。 

 成功すれば傲慢になり、失敗すれば自己憐憫に陥ったりするようにもなりました。でも、いつでも心のどこかには、必ず、この掴みきれない『真理』を求める思いがありました。 

 そして、『真理』と出会えずに年齢を重ねるにつれて、『不思議だと思う事』、『明確な答えが出せない事』のレパートリーが増えてきました。 

 『幽霊』『UFO』『宇宙人』『四次元の世界』から、 

「なんで男性は女性を、女性は男性を好きになるのだろう?」 

「なんで悪い事をしている奴に腹を立てながら、自分は悪い事をして見たいと思うのだろう?」 

「なんで生まれて来たのだろう?」 

「なんで死ぬために生きているのだろう?」

「何をするために生まれて来たのだろう?」

「なんでこれだけやっても結果が出ないのだろう?」 

「なんでこんなに働かないと生活できないのだろう?」  

「なんで悪い事をしていないのに辛い思いをするのだろう?」 

「なんで悪い事をしている奴が大金を手にするのだろう?」

「なんで青天井で毎年毎年営業目標を上げていくなんて無茶な事をするのだろう?」

「なんでいつも漠然とした未来への不安をいだいているのだろう?」

「なんで満足し続けられないのだろう?」 

 そして

「どうやったら、幸せになれるのだろう?」

(了)

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