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プラットホーム(011)『私は知っている』

 『私は知っている』

 時として、これはとても危険な認識です。知識を得るということは、喜びであるし、尊いことであると思いますが、人と比べて、「人の知らないことを、私は知っている」という風になると、傲慢になりかねません。ましてや、それを人に伝えたり、教えたりする立場になった時、心の姿勢は重要です。 

 ビジネスの場で、人に、何かを伝える時、「教えてあげる」ではなくて、「聴いていただく」という姿勢であれ、とはよく聞く話であります。 

 しかし、慰め、または戒めや叱咤激励のために、何かを伝えたり、教えたりする時には、なかなか「聴いていただく」という姿勢にはなれませんし、適切とは言えないかもしれません。 

 では、どんな心であれば良いのか。それは愛と慈しみでしょう。自分の知っていることを伝えたり、教えたりすることで、人が慰められたり、戒めを与えることができたり、励ますことができることを、高ぶることなく、また見返りを求めることなく喜べるのは、「愛」がなければできません。 

 知識を「自分のためのもの」とするのではなく、「誰かの役に立つもの」、とする時、「私は知っている」が、たとえ「人の知らないことを、私は知っている」となっても、傲慢になることは少なくなると思います。 

 クリスチャンが知りえる「真理」。僕はこれに出会ったとき、心から喜びました。しかし、かつて、僕はこの「真理」を知ったことで、身近な人に対して傲慢になったことがありました。本当に悔い改めるべきことでした。

 今は、僕の知りえた「真理」の知識を、自分だけのものに留めておくのではなく、人のために役立てたいと思えるようになりました。何より、「真理」の核心は「愛」なのですから。

 『イエス・キリストを信じて一緒に天国に行きましょう。』

(了)

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