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<あなたへの証し> ~第2の書 『新潟への道、新潟での歩み(2006年10月~2011年3月)』~ <第1章『東京に帰れない』(3)>

 そもそも僕が洗礼をうけたのは、仕事で成功したい、という『野望』を抱いたからでした。教会との出会いも決してイエス様を求めていたわけではありませんでした。ある仕事上の理由でどうしても教会(礼拝)に行く必要が生じて行ったのです。そこで初めて牧師の説教を聞いたのですが、その説教で僕は『成功の秘訣』を掴んだ、と思い込んだのです。 

 小さい時から、確かに『真理』を求めていましたが、それは世俗的に『人生の成功者』になりたかったからでした。初めて聞いた牧師の説教で、それを掴んだと思い、クリスチャンになれば、神に祈るならば、必ず成功する道を教えてくれる、迷ったときには成功する道を示してもらえる、と思いました。 

 みことばをねじって入れて、『ご利益信仰』に目覚めたのです。

 今思えば愚かとしかいいようがありませんが、しかし、この時僕は何が何でも成功したい思いでいました。なぜならばそのころ、僕の心は、家族からはなれ、妻から離れ、それらの『罪』を正当化するには、仕事でより成功し、お金だけは家族に渡すしかなかったからです。僕は心が妻や家族から離れてしまったことを全て妻のせいにしていました。人に自分たち夫婦のことを話すときには、僕が同情されるように話しました。「そんな状態なのに家族を守っているなんて偉い」こう言われるように演じていたのです。この本当の自分を隠し、「真理、真理」といいながら教会に通っていたのです。

(了)

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