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<あなたへの証し> ~第2の書 『新潟への道、新潟での歩み(2006年10月~2011年3月)』~ <第2章『霊の母との出会い』>

 その翌日、牧師は、僕が長い間、「『罪を罪と認めたくない心』と『罪を罪と認めて悔い改めたい霊』との間における葛藤に苦しんでいたことに初めて気付かせてくださいました。「何をどう取り繕って正当化しようとも、あなたは罪を犯している。そして、あなたに信仰はない。悔い改めなさい。」僕の全人格、存在そのものを、みことばをもって刺し貫いてくださったのでした。そして「聖書を少し学んでから、東京に帰りなさい」牧師はやさしく言葉をかけてくださいました。 

 僕はこの時から、ずっとこの教会にとどまっています。新潟から東京に帰ることをせず、東京の単身生活をしていた部屋は解約し、海辺にあったこの教会に隣接した『バンガロー』を手配していただき、およそ8か月間、たった一人で、テレビもない環境で、神様と向き合う時間をいただきました。 

 なんと言っても海辺ですから、一番近くのコンビニまでも車で10分ほどかかります。教会の車をお借りしていたのですが、2か月で車検が切れて廃車処分となり、昼間はまだしも、日が暮れてから出かける足を失いました。買い物は海の家の自動販売機でしか出来ません。離島ではありませんが、しばしば携帯電話の電波がつながらなくなったりもしました。そして、実はテレビはあったのですが、地デジになったため観られなくなってしまったのです。

 新潟に来てバンガロー生活が始まって半年後、祈りの中でイエス様はあるヴィジョンを与えてくださいました。僕はこのヴィジョンによって「イエス様は僕のために死んでくださった」ということを、初めて「頭」ではなく「心」で知ることが出来たのでした。

(了)

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