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占いを止めました。自分に嘘はつけない。

私の見ている世界でも紹介させていただきましたが、私には特別な力が備わっているわけでもなんでもございません。

ここnoteで発信している自然からのメッセージも、神秘的な力を使って、などの類のものではありません。

例えば【いつも元気なTさんが今日は少し元気がなさげ。何か嫌な事があったのかしら】
という場面は日常に多々あるかと思います。

その姿を見て、不幸があったのかしらと思う人もいるでしょうし、恋人とうまくいっていないのかしら、と思う人もいる。中には、自分が何かしたのかな?と思う人もいる。

実はTさん、夜更かしをしてゲームをしていただけのただの睡眠不足。
だけど、そんな元気のない姿を見て人々は何かを感じ取り、想像力を働かせますよね。

そんなどこにでもありふれた出来事を、自然相手に行っているだけです。

さて、今回のタイトルの個人鑑定を止めたということについてお話しようと思います。

私は幼い頃からこの世界の仕組みに好奇心を巡られていましたが、特別何かを信仰していたり科学者がいる家系に育ったわけでもありません。お正月には神社へ行き、年忌供養にはお寺さんにきてもらうというよくある日本家庭の姿です。

ただ、少し一般的でないところといえば、祖父母宅に屋敷神や水神様が祀られていることくらいでしょうか。

先祖代々続く土地をお持ちの方であれば、現在も【内神・地神・氏神・荒神】などと呼ばれる屋敷神がいらっしゃるのではないかと思います。
祠や石などを社に、その土地を守る神様として祀られています。

また、昔使用していた井戸に水神様がいるとして、建て替えで井戸を埋める際に水神上げをしたり、埋めないままお供えを行うお宅もあるでしょう。

その他にも祀られている神様がありますが、個人的な
事となりますので詳細は省きます。

このように、日本の一般的な家庭の中に育ったとはいえ、核家族化や都心への進出で今ではやや一般的ではなくなってしまった昔の日本人の信仰心の中で育ったというのが近いかもしれません。

親や祖父母が昔からお世話になっているその土地の神社さんやお寺さんはありますが、かといって神道や仏教に深い知識を持っているような様子はこれまで親族から感じたことがありません。

どちらかというと、自然崇拝に近いのかもしれません。(精霊を信仰するアニミズムともやや違うと思います。祖父母から精霊などのフレーズを聞いた事がありませので)

当たり前にそのような環境があったので、自然への畏怖の念のようなものは育ったのかなとは思います。

子どもの頃から占いには興味を持っていましたので、子供用の占い雑誌を買って興味深く読んだりもしていました。
そういった下地があったわけなので、私が占う側として占いの世界に足を踏み入れるのは不思議なことではありませんでした。

私が初めてタロットカードを購入した際のことです。
親から酷く反対を受けました。

そんなものに手を出したらいけない、と。

いい歳をした大人が、やろうとしていることを親に反対されるなんてなかなかないのではないでしょうか。

五円玉を使った子どもの遊びがありますが、子どもの頃にも「絶対にしてはいけない」と口酸っぱく言われていたことを覚えています。

傍から見れば、子どもがスピリチュアル(宗教や自己啓発なども含む)に足を踏み入れそうになっていたら、反対するのが普通だろう。と思われるかもしれませんが、我が家の場合は少し意味合いが異なります。

親の私への反対の仕方は、卜占に手を出したらいけない。
自然に反することをしてはいけない。

今ではやや一般的ではなくなった自然崇拝色の強い家庭でも、卜占を禁忌として反対されるのです。
不思議ですよね。縄文時代の土偶なども何かしらの呪術的な役割りがあったかとは思いますが。

「お正月の神社と、供養の時だけお寺さん」の家庭で育った方からすると、自然崇拝も充分信仰心にあたるのでは?と思われると思います。

私は二十歳を迎えるころに、人生は何一つ狂いなく回っているということを知りました。
ですから、これ以上この人生とは?について知識として学ぶことも知る必要もなかったのです。

日々を生きていく。それ以上でもそれ以下でもない。

そうだというのに、私は「本当にそうなのか?」と検証するかのように、以降そこに至るまでの過程をあえて経験してきたように思います。自分で体験して腑に落としたかったのでしょう。

その後、潜在意識や引き寄せの本を読んでみたり、サイトで調べることもありました。確かに素晴らしい要素を多く含んでいると思います。
しかし、私の偏屈さの表れでもあるのですが、「本当にそうなのか?」という目で物事を見てしまいます。
半分信じて半分疑う、ということをやっているわけです。

幸い、知識として学んだだけなので書籍代だけで済みました。

その後タロット占いをしてみようという時期が訪れます。
先ほどの親からの反対をはねのけ、タロット占いを独学で軽く学び、どなたかの悩みの手助けになればと活動してみます。

名前は違いますが、YouTubeにタロット動画チャンネルを作ったこともあります。
今では結果的に良かったと思えるのですが、登録者数が伸びないことで収益化の対象にならなかったのは幸いでした。
また、SNSで無料で鑑定をさせていただいた方々がいらっしゃいます。

しかし、私の中で色んな迷いが生まれます。

「占いを信じている人を占い漬けにしてしまうのではないか?」
「本来、自分の足で立って歩いていかないといけないのに、占いでそう言われたからと間違った選択をしてしまったら」
「カードに出たままを伝えるのがその人のためになるのか?」
「気持ち良い気分に浸れる占いや恋愛占いの方が人気が出たりチャンネル登録者は増えるのだろうけど、それは自分がしたいことなのか?それは自分のやりたいこととは違う」

などなど、自分の鑑定で人様の人生を狂わせてしまったら、という不安がありました。

時間をかけ自問自答していましたが、ふと
「それは自分の傲慢さの表れではないのか?」
「人様の人生を狂わせるほどの占いが出来ると過信しているのではないか?」
「観てくれた方や依頼をされた方が占い漬けになると心配をするということは、その方たちやその方たちの持っている力を信頼出来ていないからではないのか?」
という考えに至ります。

「所詮占い。それをどう受け取るかはその人次第」
そう思えるようになって、やっと有料の占いサイトに登録してみました。

私も聖人君子ではありませんから、YouTubeで収益が得られたらそれは助かりますし、個人鑑定にしても占いややりとりにかける時間を使っておりますので、時間給として最低賃金程度はいただけたら、という思いもありました。

しかし、私の中での迷いはやはり消えないのです。

「人様の悩みにつけこんでお金をいただくような事はしてはいけない」という自分

「人は悩んでいる時に誰かに話を聞いてもらいたいもの。しかし、身近な人に毎度悩みや愚痴をこぼしていたらその関係は破綻する。だから誰にも言えず、聞いて欲しがっている人がいるのも事実。その聞き役(負の感情の請負人)として占い師が存在してもいいのではないか?」という自分。

「問題の本質に気付くキッカケになったらいいのではないか」という自分。

かといって、スピリチュアルや自己啓発の類を悪だとしたいわけでもありません。ただその物事が在るというだけ。それを善だとか悪だとか決めるのも人間です。どう捉えるか次第。

善だという目で見れば善に、悪だという目で見れば悪になるというだけ。

先ほど書いたように、同時に無料鑑定もやめなかったのは、その自分の葛藤のバランスをとるためだったのかもしれません。

卜占に足を踏み入れて、私は自ら悩みを作り出しているのです。こんな事を真面目に悩んでいるのですから、一体この人は何がやりたいのだろう?という状況です。
これはスピリチュアルなどに傾倒しやすい方にも言えることかもしれません。

スピリチュアルや自己啓発に興味を持っている人だけが幸せを手に入れられて、そうでない人は幸せになれないのか?そんな事は全くないと思います。
幸せになろうとして、しなくていいことを自らしていないか?

私は卜占をする事で何者かになりたい自分が居るのではないか?という恐怖も抱きました。
今や、何者かになりたい人で溢れているようにも感じます。

引き寄せや潜在意識・タロット占いと一周回って経験してきました結果、やはり人生は一寸の狂いもなく展開されており、不思議な世界があるわけでもなんでもなく、この人生を生きること。
それ以外にないのではないか?という事をやっと腑に落とせました。

先ほどの、「何者かになりたい」というのはおかしな話です。他の誰かになりたいのか?自分とは違う自分になりたいのか?肩書きがほしいのか?
では今の自分は何なのか?誰なのか?よくよく考えると自分に失礼なことをしています。

この人生を生きていく上で大切にしたい「心持ち」というのはあることでしょう。しかし、そんなものがあろうがなかろうが人は生きていますし、それでも良いとも思います。

私は仏教の教えを学んだわけでもないので、人生で徳を積まねばならないとも現在のところ思いません。
生きている、それでまずは良しと。

その上で、徳を積みたい人は積むも良し、徳という観念がなければそれも良し。
これも人によって考え方、捉え方は違うことでしょう。

ただ、生きていれば小さいことから大きなことまで色んな事があります。それにどう対応して生きていくのか。人生で起こることから何かに気付き、学び、そしてまた生きていく。
私が長年、検証として行っていた事はこんなことでもあるのですが、この間に得た大きなことは「生きている、それだけで良くないか?」という事です。

全てが素粒子で出来ていることやエネルギーを持っている事を考えれば、先祖達が自然を崇拝していたように、私達には扱えない何かしらの物事というのは存在するのかもしれません。

ですが、私達には扱えないものを無理矢理どうこうすること、自然に反することをする必要もないのではないか?
科学的にもっと研究が進んだとき、その時に私達人類は新たな向き合い方を考すればよいかと。

私の中でこの長い時間を掛けて探求してきたこれらの出来事も、そろそろ区切りを打とうと思います。

人生とは?幸せとは?この世界の仕組みとは?
そんな事に意識を巡らせてこの人生の時間を使うのではなく、目の前の食事を楽しみ、景色を味わい、人と交流し、よく寝て、時には自らの課題と向き合い(もうそろそろ卒業したいですが)、一瞬一瞬をこの身体で体験していたいです。

無収益のYouTubeしかり、無料鑑定、有料鑑定の方も現在は終了し、1年半程関わってきた占いを止めることにしました。
有料鑑定の方で登録後1名様にご利用いただいただけだったのは、私の望むところだったかなと思います。
そこでそれ以上の金銭を受け取っていたら、私は自分の心に少なからず嘘をつくことを続ける羽目になったかもしれません。

こういった話は「スピリチュアルな事でお金を得ることに拒否反応を抱くのは、お金のブロックがあるから」などとスピリチュアル系では言われるかと思いますが、ブロックがどうこうというものではないのです。
私がどうありたいかだけの話なのです。

有料鑑定にご依頼くださった方に返金するということは難しいため、その方からいただいた鑑定料1040円を募金するなど何かしらの形で世の中に戻せたらと思います。

今後、このnoteを存続させるかどうかはまだきめかねていますが、とりあえずは個人鑑定や占いを止めたというお話でした。










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