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うまくない文章はなぜ生まれるのか

私はこれといって文章の書き方を学んだわけではない。それでも「わかりやすい」「面白い」という感想をもらうことがあって嬉しい。普通に書いているだけなのに、と謎だったが、その理由が最近うっすらわかってきた。
もしかして、文章って、誰にでも書けるわけじゃないのか?

そういえば、インターネットでブログなんかを読んでいるとおかしな文章がそれなりの頻度で見つかる。
個人のブログならまだしも、ライターを名乗る人物が書く記事なのに、明らかにお金をもらって書くべきではないレベルの文章が引っかかることがある。とくに「まとめサイト」はすごい(一応オブラートに包んだ)。「うわっ、どうしてこんなにひどい文が書けるんだろう」と呆れるのを通りこして不思議に思ってしまう。読みながら頭の中で添削して「ここは削ったほうがいい」「なぜ同じことを2回書くんだ」「私が書き直したほうがマシ」などとツッコミを入れてみるが、どう読んでも何が言いたいんだか理解不能でお手上げな文章もある。

文章がうまい人と下手な人の違いはどこから来るのだろう?
もちろん、普段から書いている人はうまく、そうでない人は下手な傾向があるが、経験だけでは説明がつかない文章のうまい下手があるように思う。
そうだ、彼らの気持ちになって文を書いてみれば何かわかるかもしれない。

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これはまあまあ読める文(そうであってほしい)。

ゴールデンウィークが終わったばかりなのに、真夏並みに暑い日が続いている。クーラーなしではとても眠れない。最近、朝起きると頭痛がするので「何か病気じゃないだろうか?」と不安になったが、スポーツドリンクを水で薄めて飲んだら直った。軽い熱中症だったのだろう。みなさんも暑さに気を付けて健康に過ごしてほしい。

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読みにくい文に直すとこんな感じだ。

まだゴールデンウィークが終わったばかりだけど、真夏みたいな日が続いているので暑くて、クーラーをつけないととても眠ることができない。最近朝頭痛がするので何か病気とかじゃないだろうか、とか不安に思ったので、水で買ってきたスポーツドリンクを薄めて飲んだらよくなったので軽い熱中症かも?なのでみなさんも熱中症に注意して過ごして健康に気を付けてほしいと思う。

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読みにくい文を作るのって意外と難しいな……
あれは狙って書けるものではないことが今わかった。つまり、低クオリティ文の著者は仕事がめんどくさいから適当こいて書いているのではなく、純粋に文章力が低いのだ。
では、なぜ読みにくい文章が生まれるのだろうか?

まず思いつくのは生まれつきの能力、あるいは後天的な障害だ。
発達障害までいかなくても苦手なことはあるだろうし、大人になってから頭を打ったり認知症で文章力が落ちる可能性もある。
実を言うと、私も書字障害で漢字は書けない。パソコンがなければこんな長い記事を書くのは無理だ。ついでに数学も全然できないので、計算のできる人からは「なんでこんな簡単な問題がわからないの?不思議……」と思われるだろう。

教育を受ける機会がなかったのかもしれない。
何かの理由で学校に通えなかったり、勉強が苦手であまり熱心になれなかった、帰国子女で日本語が得意ではない、など。

しかし、このような人たちがわざわざ文章を書く仕事を選ぶだろうか?
いくつか仮説を考えてみよう。

・文化の違い
あの読みにくい文は方言のようなもので、書いている本人はそれを自覚していない。医者が使う医学用語は難しくて一般の人にはよくわからない。ギャルが使う流行りの言葉もおじさんには理解不能だ。

・書くのがあんまり得意じゃない人も雇っている
とにかく広告収入が入ればいいやと思っている適当な業者が、インターネットで適当にアルバイトを募集し、集まってきた人たちが適当に書いている。予算が足らなくて技術の高い人は雇えないためクオリティはああなる。チェックする側も予算がないので「もうこれでええわ、品質は後でまず納期!」と右から左に通している。

・わざとヘタクソに書くように指導されている
読んだ人が「うわ、なんじゃこりゃ。ヘタクソ!」と思わず目を逸らして広告を見るように誘導している。

もしかするとAIが自動生成した文章なのかもしれない。そうだとすれば「お前、AIなのになかなかやるじゃないか」と褒めたいが、人間があの程度では困る。

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不思議なことに、広告収入を目的とするサイトでも絵はあからさまにクオリティの低いものは少ない。なぜだろうか。フォロワーに訊いてみた。
「絵には素材があるからじゃないですか?」
……そうか、それだ!

文章にも一応テンプレートはある。「手紙の書き方」とか「心をつかむスピーチ」の本は昔からたくさん出ている。なのにどうして絵の素材サイトほど普及していないんだろう?

これこそ、絵と文章の性質の違いだろう。
視力に問題がない場合、文章を読むのが下手な人はいても、絵を見るのが下手な人はいない。絵が描けなくても、他人の絵がうまいかどうかはわかる。「なんとなくこんなイラストがほしいな~」と思ったら、素材サイトで探してイメージに合うものを見つければいい。サイト内の挿絵に使う程度なら、髪の毛が三つ編みだろうとフィッシュボーンだろうと大した違いはない。
でも文章はもっとややこしい。「あなたは読んだ」と「あなたが読んだ」は1文字しか違わないが、イメージは大いに変わってしまう。読むのが下手だと、この違いを見分けることができないのだろう。
ああ、文章って、少しの違いがはっきり見えてしまうんだ。だからテンプレがあまり役に立たないのか。「テンプレ使ったな」とすぐ見破られてしまう理由もこれだな。

下手な文章が生まれるのは、掲載する側も読むのが下手だからなんじゃないか?「よくわからんけどヨシ!」とか言って載せちゃうんだろう。

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◆結論◆
インターネットにおかしな文章が溢れるのは、予算がないから

……面白みのない結果になってしまった。
「品質」「納期」「予算」はどれか2つしか満たせないという法則がある。
予算がなく、納期が迫っているとなると、削れるのは品質だけということか……世知辛い。

実はこの結論、最初に抱いた「文章が下手な人は、なんで下手な文章を書いてしまうのか?」の答えにはなっていない。書いているうちに主題から脱線していってしまった。それでも頭から読むとなんか納得してしまう感じに仕上がるのは謎だ。絵を描いても「あっ失敗した。まあいいや、適当に塗っちゃえ」とごまかしてなんとか完成に持っていくことがよくある。計画性のなさは作品にも表れるのか……

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そんなことを考えていたら、情報を伝えるための手段としての絵と文章の大きな違いに気付いた。
たとえばランドセルを背負った女の子の絵。私が描いても手塚治虫が描いても「ランドセルを背負った女の子」だが、この2つを同じものだと思う人はいないだろう。
しかし文章は、テキスト化すれば純粋に内容だけが残り、誰が書いたかという情報は失われる。情報が究極に圧縮されているのだ。文字というのは誰が扱っても同じ情報になるように作られたツールだからそりゃそうなんだけど、改めて気付くとその出来のよさに感心する。
絵もピクトグラムまでいくと誰が描いても同じようになるから、余計な情報をそぎ落としていくと最終的に絵は文字になるのか。そうだ、漢字って象形文字なんだった。エジプトのヒエログリフもそうだったな。

文字は意味を知らなければただの絵なので、それを利用していろいろな絵文字が作られる。文字がもつ情報を無視して全然違う意味を着せられているのが面白い。歯科医院を改装してピザ屋にするみたいな……
イタリア人には「ゆゅゆゅゅ」がおさかなの群れに見えるそうだ。かわいいね!
<゜)))彡

【終わり】

フルツとか医学書とか買います