FF14で好きなキャラの話をする【ゼノス編】

はじめに
ここに書かれていることはすべて個人の独断と偏見と趣味でできています。私がそう思い込んでいるだけで実際は意図されていないことばかりだと思いますが、個人の感想文ですのでそういう前提でお読みください。

 ゲームという娯楽がどうしてこんなに好きなのか。それに対する個人的な答えは、「プレイヤーが世界に介入し、そこにある世界を自分で体験することができるから」だと思っている。
 ゲームでは今何を行うかを少なからずプレイヤーが選択し、自発的に「体験」を作ります。その体験はすべてプレイヤーを楽しませ、悩ませ、苦しませ、そして喜ばせるために練りこまれたものです。ゲーム性、音楽、シナリオ、UI、その他すべてがそのゲームの世界観と面白さを表現するためにあるといってもいいでしょう。展開される物語に没入するためのゲーム性、あるいはそのゲーム性を最大限に楽しませるための物語。クエストを選択したときのSEが気持ちいいこと、画面の移行がスタイリッシュなこと、歯ごたえのある難易度。そういったこと一つ一つが「体験」であり、プレイヤーはそのすべてを楽しみつくすことができる。すごく贅沢な娯楽だなあと思います。

 特にキャラメイク系のゲームでは、主人公は自分の分身、プレイヤーの意思の媒介者であり、その挙動や心情にプレイヤーの意思を反映する自由を与えられていることが多いです。私たちは、そういった限りなく自分に近いことを想定された主人公(PC)を通じてゲームの世界を体験しています。音、映像、選択、戦闘、交流。そのゲームで見たこと、聞いたこと、行ったことすべてが実際に「私(プレイヤー)が体験したこと」であり、あの戦いはとても接戦だったとか、あの時の選択肢はとても迷ったとか、このクエストをこのタイミングでやったからこう思っただとか、そういった細かい積み重ねで「その人だけのゲーム体験」は形成されていく。そんな風にゲーム体験と自分の感情がひとつになる体験がすごく楽しいから、私はゲームというものが大好きだし、「主人公はあなた」とされるゲームが大好きです。

 そして 拡張パック漆黒のヴィランズでは、「あなたの旅路(体験)」が誰かの灯となり、その灯りが巡り巡ってあなた(光の戦士)の助けとなる…といううつくしい円環を全力で魅せてくれる物語が紡がれました。今まであなたがFF14で遊んできた時間すべてに意味があったんだよ、といつかの未来から投げかけられた時の興奮と感動は、2年ほど経った今でも(もう2年?!)思い出してはめちゃくちゃになってしまいます。
 私が楽しいなあと思ってFF14を遊んできたことを肯定してくれたこと、今までの旅路に無駄なことは一つもなかったと示してくれたこと、その歩みを希望の灯だと笑ってくれたこと。全部が全部うれしくて、私は漆黒のヴィランズ、そしてFF14が大好きです。……おかしいな、ゼノスの好きなところについて語るのに必要なことを書こうとしていたはずがいつのまにか漆黒のヴィランズ簡易感想文になっていた。すべての道は漆黒のヴィランズに通ずる。ゼノスですら例外ではないということか。


 えー、ここから本題です。
 まず前提として、FF14は自分好みの主人公をつくってエオルゼアという世界に介入する、キャラメイク系のゲームです。主人公である光の戦士は、プレイヤーの分身……つまりプレイヤー自身が投影される鏡であり、プレイヤーの趣味や理想を詰め込んで好きなようにロールプレイできる器である……という側面が強く、シナリオ内での自我表出はあえて最小限にされています(吉田Pがインタビューでよく語っている、主人公=あなた(の理想)というスタンスを崩さない姿勢がvery大好き)。

 そのためこの世には色んな設定、色んな種族、色んな性格のヒカセンがプレイヤーの数だけ存在しますが、光の戦士はどれだけ異なるキャラ付けをされていようと、「その挙動、選択には例外なくプレイヤーの意思が介在する」という特徴は共通しています。光の加護でも超える力でも神殺しでもなく、この一点においてヒカセンはFF14唯一のキャラだといえるでしょう。
 エオルゼアという世界で、文字通り世界が違う視点を内包するもの。それが光の戦士であり、光の戦士を「世界が違う視点を持つ者」と定義したとき、FF14で唯一その同軸上にいるのがゼノス・イェー・ガルヴァスなんだと思います。

 紅蓮が終わった頃に、ゼノスのことを「生まれた時から全てのレベルがカンストしてる+立場的にも恵まれているせいでやることが何もないのにFF14というゲームを死ぬまで終わらせられない人」みたいな印象だと呟いていたのですが、つまりゼノスって、ゲーム内のキャラでありながら熟練プレイヤーの「ゲームへの飽き」という感情を世界に対して抱いてるんですよね。どんなに新しいコンテンツに触れても、レベルとプレイヤースキルが極まってるせいですぐにつまらなくなっちゃう人。ゲームキャラなのにゲームプレイヤーの視点で生きてるからなんか浮いてるやつ。エオルゼアで生きているけどその視点はプレイヤーのものである光の戦士の同類なワケです。この辺り、漆黒のヴィランズでゼノスの「浮いてる」感が彼が古代人への先祖返りみたいなものであり、ほとんど上位種であるからという理由で説明された時はすごく楽しくなっちゃいました。ほんとに「生きてる世界が違う」じゃん! そりゃゼノスもヒカセンのことを友達認定するよ。今まで世界に人(プレイヤー)は我一人、他はみな戦を愉しむことを知らぬ獣ばかりと思っていた生き物が、同じ「人(プレイヤー)」の視点で戦闘を楽しんでる生き物に出会っちゃったということだもんな。フレンド申請連打もやむなし。ゼノスのフレンド申請のタイミングが神龍戦後ではなく前なのも、「全力で戦って負けたから認めた」ではなく、「戦う前に同類だと気づいて最高になっちゃった」って感じがして良いですね。

 前述で、「ゲーム体験と自分の感情がひとつになる体験がすごく楽しいから、私はゲームというものが大好き」という話をしました。私にとってゼノスは、そういう体験をストレートに提供してくれたキャラです。ラールガーズリーチで奴に負けてから一刻も早くあれを倒したいという気持ちでストーリーを進めたし、ヤンサの地での鎧の角を落としたことで成長を認めさせた時は嬉しかった。紅連決戦でとうとう目の前に立って、神龍戦はただ楽しいだけの戦いをした。本当に楽しかった。
 神龍戦のあの瞬間にドマやアラミゴを救うんだという気持ちはあんまりなくて、プレイヤーとしてはとにかくゼノスと遊びたかったんですよね。別に国を救いたくないという訳ではなかったし、英雄行為に思うところもそんなになかった(その辺は新生〜蒼天で十分やったので)のですが、「英雄」としての気持ちよりプレイヤーの「強い奴と戦いてえ!」の気持ちが勝っていた。この感情は当然私の気持ちの受け皿である光の戦士の感情にもなっていたわけで、わりとかなりひどい英雄だなあ!
 そんな感じだったので、ゼノスのフレンド申請(貴様には理解できるはずだ……俺の同類だからな……)に対しては何も否定できない!と笑ってました。(プレイヤーは笑ってましたがヒカセンは顔ひきつってたと思います。本来人格に癒着して不可分なはずの英雄という側面を無理やり剥がされて中身を引きずり出されそうになっているので)
 それでも英雄として、これまでの犠牲と旅路に恥じない選択をしよう、という気持ちが最後には優先されてゼノスを否定する選択肢を選びましたが……。エオルゼアの英雄としての感情を取るか、最後までプレイヤーの気持ちのままに振舞うか。その辺りのことを考えるのも、プレイヤーとPCはニアリーイコールであれど完全に同一ではない、ということの証明で楽しいなあと思います。光の戦士は私の投影で鏡で器だけど、私そのものではない。自分ではないものに自分のままなれるからこそゲームはこんなに楽しい!
 一応その後紀行録でゼノスの友として生きる選択肢も確認したんですけど、これまでの英雄の旅路の重さを他でもないゼノスに理解されたうえ、だからこそ容易く見破れる偽りはよせと言われて爆笑しました。ば、ばれてる!全部ばれてる!こっち選んでてもすごいゲーム体験だよ!

 そんな感じでたまたま私の趣味とゲーム体験が相乗効果を起こし突き刺さったゼノスくんですが、私と同じような感情を抱かなかったプレイヤーはゼノスに対して「なになになに?!怖いよ!」となってるのをよく見ます。まあそっちの感想の方が多いよね! それもまたそれぞれのゲーム体験ですごく良いな〜と思います。
 個人的には、プレイヤー側がどれだけ何この人!怖いよ!となったところで、ゼノスのキャラ造詣が光の戦士の対であること、だからこそ彼がヒカセンのことを大好きになることは変わらないのが好きです。好きになってる理由が「プレイヤーキャラだから」なの、このゲームを遊ぶ以上回避不可能なので笑うしかない。(「今、お前の頭の中を占めているのは、最後の戦いがどのような愉しみをもたらすのかだけ…… 今も早く戦いたくて、心が震えているのだろう?」とかゲーム(戦闘)を楽しむプレイヤーなら絶対否定できない言葉なの、ズルい)
 FF14はすごく丁寧にプレイヤーの感情に寄り添ってくれるゲームですが、そのスタンスを崩さないままこちらの感情を全然気にせず好きに動くキャラがいるの、すごく楽しいな〜と思います。そりゃそんなキャラは問答無用理解不能の敵になる。FF14は勧善懲悪の物語ではない、というのは新生蒼天紅蓮漆黒全部で語られてるのに、ゼノスだけはなんかちょっと違うのはそういうことだと思います。まあゼノスは悪っていうか、あれに善悪なんて意味がないというか……。たしかに普通に悪辣(というか倫理に興味がない)だけど、ゼノスはもしヒカセンが悪役に回っていたら、あのキャラのまんまヒカセンを倒す側に回るので、結果善と語られるようになる感じですよね。興味の対象の立ち位置によっていくらでも周囲の反応が変わる。帝国側から見たヒカセンは死神なんだろうなーみたいな想像と同じです。ヒカセンと対応するボスとして理想的な善悪観念だ。

 ゼノスがプレイヤーの気持ちとゲーム体験を強烈に結び付けてくるのが好き、ということに加えて、NPCなのにPCの視点を持ってる半メタキャラが、だからこその思考と動きをしてるところが好きです。
 フレンド申請を代表として、ゼノスってほんとに人の話を聞かない。あれって今まで生きてきた中で、世界に獣ではない「人間(プレイヤー)」は自分しかいなかったから、すべての出来事が自分のために配置されてると思ってるやつの思考だよなあと思います。神龍を指して「ハハ、思えばこれも、貴様が俺と愉しむために仕込んだことか。貴様らが復讐鬼を追い立てて神を降ろさせ、対抗策として放ったオメガが、神を俺の手元に寄越した!」というセリフとかもうモロにそれ。世界はすべて自分の為に、自分を中心として回っているという認識で喋ってるの、つまりゲームの主人公概念ってことじゃないですか。主人公(プレイヤー)を楽しませるためにすべてのクエストは実装されている自覚がある……半メタ……問題はお前は主人公ではなくラスボスだということだ……。
 いやまあラスボスなら逆にラスボスの為にすべてのクエストが実装されている、といってもよい気がしますね。ゲームって基本的には最後のボスに辿り着くためにすべてが積み上げられていくものですし。ゼノスが暁月でラスボスになるのかはわかりませんが、まあ彼は最後まで自分が世界の中心思考のまま楽しそうに逝ってくれると信じています。空中庭園を超える最高のバトル、しようぜ!
 ……というか、奴の現時点(5.5)での思考回路って「ヒカセンが英雄するなら、自分は英雄が活躍するに相応しい最高の舞台を用意して頂点で待とう(=星の終末を呼ぼう)」じゃないですか。光の戦士というゲームの主人公がゲームを続ける/進めるためには、それに相応しい目的が必要で、ゼノスは自覚的にその目的になろうとしてる。俺のことが大大大好きだから最高のバトルを用意するために世界の敵になって星を終わらせる男、めちゃくちゃなのよ。最悪で最高かな?

 ゼノスはヒカセンに対してやたらデカい夢と期待を抱いてますけど、ヒカセンがプレイヤーキャラである限りその期待をヒカセンが裏切ることはない(なぜならヒカセンのレベルは上がり続けても下がることはないため、今以上の楽しい戦闘しか未来にはない)のもズルいなポイントです。向こうは必ず更新される最高のコンテンツをワクワクしながら待ってて、最新作の仕上がりは絶対期待を超えることが約束されてるんですよ。ゲーマーとして羨ましいったらない。
 そうだ、ゼノスでズルいと言えば紅蓮の自刃です(?) 4.0終わった時の私は、あんなの勝ち逃げじゃん!!!!と一人で暴れていました。いやあれ……実質的な勝ち逃げじゃないですか?! 世界ではじめて見つけた唯一の同胞と死力を尽くして愉しい戦いをして、大満足のまま「これが最高でいい」「これ以上はいらない」と自分で決めて自分で終わりにしたの、勝ち逃げと言わずに何と言うんだって感じだ。そんな最高の勝ち逃げしたくせに不滅なるものとして戻ってきて、戻ったら戻ったでじゃあもっかい友と楽しいこと……するか! と死後の余生(なんだそれは)を大満喫しているの、自由だ。この海で最も自由なやつが海賊王だ……。


 なんだか話が逸れまくってまとまりが死滅してきたので、今回はとりあえずこの辺りで終わりたいと思います。
 私はゲームが好きで、ゼノスが好きで、光の戦士と対応する敵としてここまで完成度の高いやつもいないよなあ、というだけのお話でした。
 暁月のフィナーレ、超楽しみです。


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