自己チューノススメ(その1)
才能の発掘の仕方
講師は、事あるごとに塾生に言って聞かせるとがあります。
「君たちの中には、例外なく!確実にものすごい才能が眠っていて、その才能はまわりの誰よりも抜きん出ていて、しかもそれは社会のために絶対に役立つし、君たちに生活するのに充分なお金になるからね!」
「どうやってその才能を見つけるの?」
みんなの大きな疑問です。でも目がくりくりしています。
「自分の才能は、自分で必ず見つけられるよ!」
「えーー❓ まじか?!!」
みんなの目はまだ怪訝(けげん)そう・・・
講師は続けます。
「自分の才能に辿り着くコツを教えようっ!!」
「みんな!いつも、常にワクワクすることを探してするようにしてくださいね!」「ルードゥスアカデミーの”ルードゥス”って まさにワクワクして遊ぶ!って意味だよ!知ってたぁ??」
「自分が心から没頭することができるもの、大好きなもの、ホッとできるもの、そういうものを真面目に追求してください!」
「そうしていると、自分の才能を開花させる道に乗っかることが出来るんですっ!」
「おーーー!そんなんでいいの??」
(授業の合間のおやつの時間のあるあるタイム。こんな会話もしています。)
今までの、まさに枠にはまった教育の中では、自分を充分に出し切れない子どもだち。時としてそのフラストレーションがこちらにもひしひしと伝わってきます。
そんな状態では、とても自分の才能は見つけられないどころか、みんな自分に一片のキラリと光る才能があることすら、考えられなくなっています。
先の投稿でも書きましたが、この私たちのいわゆる「ユニフォーム社会」の中では、周りと違うことをすることに、当然のごとく違和感を感じるようになります。でも、もともとこれだけ異なる個性を持つ私たちが、一つの集団としての行動を強いられるのはかなり難しいことです。 集団行動って、本当に、ほんとーに?わたしたちにとって重要なことなのでしょうか??
集団行動と協調行動
某高校の新体操部や、大学生が演じる集団行動の実技などを見るにつけ、称賛に値するほどに美しく統率がとれているし、ものすごい努力の賜物だと、感心せずにはいられません。。わたしも良くYouTubeなどで、見入ってしまします。
私たちは学校でも社会でも集団で行動することの重要さを教えられてきたように思います。 しかし、体操や芸術や演技の世界ではなく、生産し消費し経済をまわしていく社会生活において、こんなにも違う個性の私たちが、まわりと一糸乱れぬ全くおんなじ行動をすることは、かなりのレベルの非効率さを生み出しませんか?
大切なのは、みんなとおんなじ行動を常にとる事ではなくて、それぞれの個人がそれぞれ異なる個性と才能を発揮しながら、協調・協力していく事が大事なのではないのでしょうか。
それができたら、実際ものすごーく平和で豊かな社会が存在していくはず!
だから学校教育がすべきことは、集団のなかで生徒たちを統率し、周りと同調させながら従う事を教えていくのではなくて、可能な限りの制限を取り外し、子どもの判断基準を最大限に拡大し、子どもたちの心をもっと楽しく健やかにそして大胆に!開放していくことです。
自己チューノススメ
自己チュー、自己中心的という言葉は、どちらかといえばネガティブな印象を持つ言葉です。しかしこれからの時代、とてもとても意味ある深い言葉になってくると私は思います。
物事を勝手気ままにやりなさい、ということではありません。まず自分をきちんと満たすこと、自分をとことん愛する事です。
多くの子どもたちを見ていますと、自分の将来の夢はもとより、普段の生活の中で今! 自分がしたいこと、自分が食べたいものすら答えられない子が結構沢山います。
子どもたちよ、もっともっと欲しなさい。
健全なる欲求は君たちの良き道しるべ、長い人生の旅路におけるよき友達となるよ。
その欲求にしたがって、自分のなりたい将来、かなえたい夢をがんがん想像して創造していってほしい。
それには、自分の心を一番に気にかけていなさい。
もちろん、周りの方々から得るアドバイスや言葉、また出会う全ての方々の存在が君に必要な肥やしになります。心が響いたら、そしたら感謝して大切にしよう。
しかし自分の外を、他人を、気にし始めると、他人を基準に行動をしようとすると、どうしても前に進めなくなります。他人の顔色をうかがい、他人の言葉に傷つき、他人に翻弄され続けます。
君たちの心は自分で守り、だれの人生でもない、君たちの人生は君たち自身で創りあげなさい。外の人たちにつくらせてはいけない。
いつもまっすぐ前を見据えて、自己を自分の中心にまっすぐにそえて、そして楽しく歩いていこう。